エラベノベル堂

吹き出す本音、未来を変える

全年齢

小説ID: cmnq5t5uq000u01ml9js054fv

2章 / 全10

翌朝、俺はキャンプ場を出る前に、なるべく誰にも顔を見られないよう荷物をまとめた。焚き火の匂いが残る服のまま駅へ向かう途中も、胸の前に白い吹き出しが勝手に浮かぶ。今はたぶん、疲れているだけだ。そう言い聞かせた瞬間、文字はさらに大きくなった。 「疲れてるだけなら、こんなに恥ずかしくない」 通りすがりの親子がこちらを見た気がして、俺は反射的に目をそらした。以来、声を出さずに済む場所ばかり選ぶようになった。コンビニの端、無人のホーム、人気のない河川敷。だが、どこへ行っても吹き出しは付いてくる。しかも、ふとした拍子に言葉が勝手に変わる。思ってもいない弱音まで、白い枠の中で丸裸にされるのだ。 そんな俺を面白そうに見ているやつがいた。 駅前のベンチに座る、見覚えのない若い男だ。黒いパーカーに、妙に古い眼鏡。視線が合うと、男は口元だけで笑った。 「見えてるんだ」 声は低いのに、軽かった。俺が警戒して立ち止まると、男は缶コーヒーを掲げるみたいに片手を上げる。 「安心しろよ。変なものを見た顔は、もうしてない」 「何を言ってる」 「吹き出し。今、右上に出てる」 背筋が冷えた。俺は慌てて周囲を見回したが、誰もこちらを気にしていない。男だけが、当然のように俺の異変を把握している。 逃げようとしたその瞬間、鞄の奥で小さな振動が起きた。家宝のこけしの横に押し込んでいた電動式のマッサージ機が、勝手に熱を持ったように震えている。取り出した指先に、今度は吹き出しの輪郭が波打った。 「やめろ、また見られる」 しかし、その文字はひどく揺れて、別の色の光をはらんだ。次の瞬間、俺の目の前に風景が割り込む。知らない部屋。壁一面の地図。誰かが机に伏せている背中。遠くで鳴る、金属を叩くような乾いた音。 息をのんだ俺の手の中で、マッサージ機が小さく震え続ける。男はその様子を見て、今度は笑わなかった。 「ほらな。始まった」

2章 / 全10

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