エラベノベル堂

深夜ラジオの予言

全年齢

小説ID: cmnq6wstq000001o6tnlk9kh7

1章 / 全10

夜は、誰にも触れられないための布団だった。そう思い込まなければ、教室で受けた視線や笑い声が、帰り道の暗さにまで染み出してきそうだった。だから僕は毎晩、古いラジオを耳元に寄せる。雑音の向こうから流れてくる深夜番組だけが、息をする場所を残してくれた。 その夜も、机の引き出しに隠した小さな受信機から、低い笑い声と静かな音楽が漏れていた。パーソナリティはいつも通り、眠れない誰かに向けて適当で優しい言葉を並べていたのに、次の瞬間、声質の奥にひびが入ったように聞こえた。 「夜の底で、自分の名を呼ばれたことがある人へ。扉は内側から開く」 その一言で、部屋の空気が変わった。肌にまとわりついていた夜の冷たさが急に薄れ、代わりに熱い糸が背骨を伝いのぼる。胸の奥で何かが、長い眠りから目を覚ますように脈打った。息を吸うたび、世界の輪郭がわずかにずれ、見慣れた天井の木目が、知らない文字のように見えた。 僕は受信機を落としそうになり、両手で握り直した。指先が震えている。ただの気のせいだと言い聞かせようとしたのに、手首の内側に、細い光が走った気がした。触れると、そこには何もない。それでも確かに、何かがそこにいた。僕の中に、僕ではない何かが。 ドアの外で小さく足音が止まった。次いで、遠慮がちなノックが二度鳴る。 「起きてる?」 義理の妹の声だった。少しだけ不安を含んだ、けれど踏み込みすぎない声。僕は返事をためらったが、彼女はもう気づいているのだろう。いつもなら聞き流される物音に、今夜は妙な緊張がある。 「変な顔してた。大丈夫?」 ドアを開けると、彼女は廊下の灯りを背に立っていた。髪をまとめたまま、寝る前の薄い上着を羽織っている。僕の手元にある受信機を見ると、彼女の目がわずかに細くなった。 「またそれ?」 「うん。これだけが、落ち着くから」 言い終えると、胸の奥がもう一度、静かに鳴った。 彼女は僕の顔を見上げ、何かを言いかけてやめた。代わりに、少しだけ距離を縮める。 「さっきから、なんだか怖い顔してる。今日、学校で何かあった?」 僕は首を振った。嘘は得意じゃない。それでも本当のことはもっと言えない。あの声を聞いた瞬間から、僕の中で説明のつかないものが動き始めたなんて。 彼女はしばらく黙っていたが、やがて僕の手首に視線を落とした。 「……冷たい。熱でもあるの?」 僕もそこを見た。何も見えないはずなのに、さっきの光の残り香がまだ皮膚の奥に残っている気がした。 その夜、僕たちは初めて、互いに秘密を持ったまま同じ部屋の前で立ち止まらなかった。彼女は僕に湯を持ってきて、僕はラジオの電源を切らずに、ただ小さく音量を下げた。雑音の向こうで、誰かが次の言葉を待っているようだった。僕はそれを聞きながら、自分の中に開いた見えない扉のことを、まだ誰にも知られたくないと思った。だが同時に、その向こう側に何があるのかを、もう確かめずにはいられなかった。

1章 / 全10

TOPへ