金ならある。そう思った瞬間、俺はもう動いていた。製菓学校の裏口から車を出し、夜のうちに関係先へ電話をかける。報道を止め、記録を消し、必要なら口止め料を積む。いつものやり方だった。だが翌朝、事態はその程度で収まらなかった。 蔵の前には、見慣れない車が何台も停まっていた。菓子メーカーの名札をつけた男、地域開発を名乗る女、そして近所の自治会長までいる。誰もが、俺の家に眠っていた古い器具と、昨夜の異変を嗅ぎつけていた。俺が金で雇った探偵は青い顔で言った。 「隠すどころか、もう話が外へ漏れています。しかも、かなり大きいです」 店員は静かに辺りを見回した。彼の白い手袋はいつも通りなのに、表情だけが硬い。 「資格の継承を求める者が来ています。企業も、地域も、封印の所在を知れば動くでしょう」 「なら、全部買えばいい」 俺は反射的に言ってから、自分の声の軽さに腹が立った。買う。押さえる。黙らせる。そうやってきたから、今の俺がいる。だが、店員は首を振った。 「買えません。これは所有ではなく、受け渡しです」 その言葉が終わる前に、自治会長が一歩前へ出た。封印を守るために立ち会うと言い、菓子メーカーの男は製品化の可能性をほのめかし、地域開発の女は観光資源になると口にした。みんな善意の顔をしているのに、狙いはばらばらだった。俺が金で押し切ろうとするほど、周囲は逆に食いついてくる。 その中で、店員だけが俺を見ていた。 「私が継承者の資格を差し出せば、争いは止まるかもしれません」 「何言ってる」 「鍵は、持つ者がいるから争いになります。なら、私が降りれば」 「それで全部終わると思うな」 声が強くなった。自分でも驚くくらい、はっきりしていた。俺は初めて、誰かを使うためじゃなく、失うまいとして口を開いた。 「お前は道具じゃない。勝手に渡して終わる役目なら、最初から誰も傷つかない」 店員の瞳が揺れた。俺は蔵の扉を背にして、集まった人間たちを見渡した。金で片づけるには、もう遅い。だからこそ、逃げずに言うしかない。 「この件は、全部公開する。封印の意味も、器具の使い方も、隠さない。けど、企業の好きにはさせない。必要な人間だけで守る」 「そんなことをすれば、あなたの立場は」 「知るか」 初めてだった。人を動かすためじゃなく、守るために自分の意志を使ったのは。 店員はしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。 「……資格を差し出す必要は、もうないのかもしれません」 「当たり前だ」 甘い匂いが、ふっと周囲にほどけた。争いの熱を少しだけ冷まし、みんなの表情が変わる。利害の顔ではなく、目の前の相手を見る顔に。 その変化の中心で、俺は気づいた。守るとは、黙らせることじゃない。誰かが勝手に決めた役を押し付けさせないことだ。 店員は初めて、ほとんど笑っているように見えた。 「久世さん。あなたは、やっとこちら側に来ましたね」
深夜香る再生の扉
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