深夜二時を回ったナースステーションで、リナは最後の患者記録を閉じた。三十六時間連続の当直、足は鉛のように重い。 「お疲れ様、リナさん」 同僚の看護師に手を振り、更衣室で白衣を脱ぐ。汗で肌に張り付くインナーを剥がし、着替えのTシャツを被った。鏡に映るのは青白い顔、乱れた黒髪、二十八歳の独身女性。恋愛ゲームに逃避するのが唯一の息抜きという生活が、もう三年も続いていた。 駅のホームは深夜でも人が多い。終電間際の満員電車に押し込まれると、背中がドアに押し付けられた。男たちの体温と混じり合う空気、圧迫感、ふくらはぎを撫でる誰かの手。 (……痴漢?) 抗議しようと口を開いた瞬間、視界が白く染まった。空間そのものが歪み、電車の轟音も乗客の息遣いも消え失せる。代わりに鼻腔をくすぐるのは、高価な香水と古い木材の匂いだった。 リナが目を開けると、そこは豪華な天蓋付きのベッドルームだった。赤い絨毯、金の装飾、重厚なカーテン。まるで中世ヨーロッパの貴族の部屋——いや、見覚えがある。これは彼女が夢中になっていた恋愛ゲーム『薔薇の誓約』の敵対勢力、マフィアのボスが支配する部屋だ。 「ボス、お戻りになりましたか」 低い男の声に振り向くと、黒いスーツの屈強な男たちが数人、深々と頭を下げていた。 「ボス……?」 「はい。先日の一件で敵国の動きが活発化しております。密使の捕縛について、ご指示を」 リナは混乱しながらも、ゲームの知識を必死に思い出す。この世界では彼女は冷酷な女ボスとして君臓し、攻略対象である騎士たちと敵対する立場にある。本来ならプレイヤーは騎士を救い、ボスを倒すのが正規ルートだ。 (なのに私がボスってどういうこと……?) 男たちが怪訝そうに顔を見合わせる。リナは深呼吸をして、できるだけ威厳を保った声を作った。 「……今は休みたい。部屋から出て」 「かしこまりました」 男たちが退室すると、リナはベッドに倒れ込んだ。柔らかい羽毛布団が疲れた体を受け止める。信じられない状況だが、眠気が勝った。 まどろみの中で、誰かが服を脱がせている感覚があった。熱い掌が鎖骨を滑り、ふくよかな曲線をなぞる。夢か現かわからないまま、リナは甘い吐息を漏らした。 「んっ……」 目を開けると、月光を背にしたシルエットがベッドの脇に立っていた。細身の長身、優雅な立ち姿——そして何よりもリナの呼吸を止めたのは、ゆっくりと明かり取りに進み出たその顔だった。彼女と瓜二つの顔。同じ黒髪、同じ切れ長の目、同じ唇。 「君は……誰?」 男は妖艶に微笑み、リナの耳元に唇を寄せた。 「ドッペルゲンガー……と呼ぶのが妥当かな。君と同じ顔をしている、敵国の密使だよ」 冷たい指先がリナの首筋を撫で、彼女は身震いした。 「君という存在に興味が湧いた。この世界で、僕たちがどう絡み合うのか……楽しみだろう?」
瓜二つの悪夢へ
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