エラベノベル堂

激辛カレーと予知の先輩

全年齢

小説ID: cmnscu3az000o01qaapfjrw17

10章 / 全10

夜明け前の倉庫街は、ひどく静かだった。鉄の階段を降りる足音だけが、乾いた空気に細く響く。私は頂点の席を捨てたはずなのに、背中にはまだ見えない重みが残っていた。先輩は少し離れて歩き、敵軍の中心にいた男は、まるで最初から同じ出口を知っていたみたいに無言で並ぶ。 「本当に終わるんですか」 私が問うと、男は肩をすくめた。 「終わるよ。君が選んだからな」 その言い方は、敗北宣言にも祝福にも聞こえた。先輩は立ち止まり、古いシャッターの前で私を見た。あの穏やかな目の奥に、ようやく隠しきれない疲れが見える。 「ここまで来れば、全部分かると思っていた」 「分からないままでも、進めました」 「うん。それでいい」 男がシャッターを開けると、そこには会議室でも隠れ家でもなく、小さな舞台のような空間があった。椅子が並び、照明が落ち、壁一面に張られた白い幕に、私の足跡が映る。私は息をのんだ。激辛カレーの容器、あの奇妙な衣装、森の靴跡、すべてが一本の線になってそこへ続いている。 「ここは、試すための場所だ」 男が言った。 「選ばれるだけの主人公が、本当に自分で選べるかを見る」 「恋愛ゲームの主人公だから?」 「そう。だが君は、予定どおりには動かなかった」 先輩が静かに笑う。 「君が選んだのは、私でも敵でもない。自分だ」 私はその言葉に、胸の奥が少し痛むのを感じた。ずっと甘い誘いの中にいたのに、最後に残ったのは甘さではなく、手放す覚悟だった。 「先輩は、私を試していたんですか」 「半分は」 「残り半分は」 先輩は一瞬だけ視線を逸らした。 「君に、ここを出てほしかった」 その答えは予想外だった。敵を倒すためでも、頂点を奪うためでもない。私を巻き込み、疑わせ、揺らし続けた理由が、たったひとつの願いに収束していく。私は唇を噛んだ。怒りはまだある。けれど、それだけではない。 舞台の幕が、ひとりでに落ちる。照明がつき、そこに立っていたのは私たちだけだった。裏社会の組織も、心を読む敵も、派手な装置も、全部が巨大な演出の一部だったのだと知る。あまりに大掛かりで、あまりに馬鹿らしくて、私はとうとう笑ってしまった。 「これ、全部私のためだったんですか」 「そうでもあるし、違ってもある」 男は淡々と言った。 「君が選ぶ未来を、誰もが見たかった」 私は先輩を見た。あの人は何も言わない。ただ、離れたくないのに離れるしかない顔をしている。そこで初めて分かった。彼の真意は、私を自分の場所へ引きずり込むことではなかった。私が誰にも縛られず、生き延びることだった。 「私は、もう選ばれません」 そう言うと、先輩が小さく目を閉じた。 「知ってる」 「だから、信頼できる人だけ残します」 「それも、君の自由だ」 私は衣装の紐に指をかけた。あの派手な変装は、もう必要ない。激辛カレーは合図ではなく、目くらましだった。衣装は魅了の道具ではなく、視線をずらして真実を炙り出す幕だった。全部を脱ぎ捨てたあとに残ったのは、権力でも役割でもなく、目の前の二人と、私自身の呼吸だけ。 出口の外には、白み始めた空が広がっていた。私は振り返らなかった。ただ、先輩がほんの少し遅れてついてくる気配だけを受け取る。頂点に立つことより、誰かに見張られることより、信じられる距離で歩くほうがずっといい。 森で一人だった朝は、もう遠い。けれど、ひとりでいるのとは違う静けさが、今の私を支えていた。私はその静かな絆だけを連れて、朝の中へ踏み出した。

検閲済みプロット

主人公は事務職アルバイトで、ソロキャンプを楽しんでいる最中に、思いがけず裏社会のリーダー的立場に巻き込まれる。憧れの先輩は未来を予知できる不思議な力を持ち、主人公を自分の陣営に引き込もうとする。激辛カレーとボンテージ風の衣装が物語の重要な手がかりになる。心を読む能力を持つ敵軍との対立の中で、主人公は試練と交渉を重ね、大きな報酬と引き換えに危険な任務へ踏み込む。主人公は恋愛ゲームの主人公として設定されている。

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