エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

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1章 / 全10

月曜の朝は、いつもより少し遅れて始まった。駅前の雑居ビルに入ると、古びたエレベーターの扉が、待っていたと言わんばかりに開いた。私は書類の入った薄い鞄を胸に抱え、四階のオフィスへ向かう。派遣先の事務室は、電話のベルとキーボードの音が薄く重なるだけの、色のない箱みたいな場所だった。数字を打ち、伝票を並べ、コピー機の紙詰まりを直す。誰にも必要とされないようで、でも誰かが止まると困る程度には重要な仕事。そんな中途半端な立ち位置が、妙に自分には似合っている気がしていた。 昼前、給湯室へ向かう途中で、エレベーターが止まった。閉まりかけた扉の向こうから、誰かの 「待って」 と言う声が聞こえたが、次の瞬間には鈍い振動とともに、箱が静かに沈黙した。非常灯だけが赤く滲み、鏡張りの壁に自分の顔がぼんやり浮かぶ。押しボタンは反応せず、携帯の電波も息をしていなかった。 最初はただ不安だった。けれど、時間が伸びるにつれ、耳の奥が澄んでいくような感覚が来た。機械の奥で歯車が噛み合う小さな音、上階を歩く靴音、外を走る車の流れ。見えないものが、線になって頭の中へ流れ込んでくる。私はなぜか、その流れの曲がり角や滞りを、初めから知っているみたいに感じた。次に来る揺れも、助けが来る瞬間も、先に触れたようにわかった。 三十分ほどで救出されたとき、私はひどく疲れていたのに、なぜか頭だけは冴え切っていた。午後の書類整理は、今朝までとは違う景色だった。部署の誰がどこでため息をつくか、誰が電話を取りそこねるか、ほんの少し先の流れが見える。見える、というより、読めてしまう。怖さはあったが、それ以上に、胸の奥で何かが小さく目を覚ました気配がした。 帰り道、駅前の小さな喫茶店に吸い寄せられたのは、偶然だったと思う。木枠の窓に落ちる夕方の光がやわらかく、疲れた神経にちょうどよかった。カウンターの奥にいた店主は、年齢のわりに落ち着いた目をしていて、私が席に座る前からもう気づいていたような顔をした。 「今日は、ずいぶん遠くまで行って帰ってきた顔をしているね」 初対面のはずなのに、そう言われて息が止まる。私は笑ってごまかそうとしたが、店主は湯気の立つマグを置き、静かに続けた。 「無理に隠さなくていい。君は、少し危ういものを拾ってしまっただけだ」 その言葉に、背筋が冷たくなった。どうして見抜かれたのか、何を拾ったのか、聞き返す前に、店主は視線を窓の外へやった。夕暮れの歩道を、見覚えのある靴が通り過ぎる。義理の姉のものだった。 私は、ここから先が単なる偶然ではないと知った。

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