エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

小説ID: cmnu3eh45000c01s8l38kav5f

9章 / 全10

教師の男が手をかざした瞬間、空気がひび割れたように静まり返った。止まる、と思ったより先に、私の皮膚の下で模様が熱を持つ。視界の端に、時間の継ぎ目みたいな薄い光が見えた。そこへマスターが横から割り込み、低い声で何かを告げる。 「嘘の全部じゃない。見捨てたわけでもない。君をここへ運ぶための、最後の布石だ」 一瞬、理解が遅れた。私を守るために隠していたのではなく、最終局面へ辿り着かせるために、あえて裏切りの形を取っていたのだと知ったからだ。怒りは消えない。けれど、目の前の人間をただ憎んでも、止まった時間の淀みは晴れない。 姉が奥で縛られたまま、必死に首を振っているのが見えた。教師たちに取り込まれた人々は、皆どこか夢の薄皮をかぶったような顔をしていた。私は唇を噛み、踏み込んだ足を止める代わりに、流れの歪みそのものを見た。封じるのではない。絡まった糸をほどけばいい。 「倒すんじゃない」 自分の声が、思ったよりはっきり響く。 私は銀の針を床へ滑らせた。針先が触れた場所から、凍ったような空白に細い道が生まれる。止められた選択の隙間へ、息を吹き返すように光が流れ込んだ。教師の一人が目を見開く。彼らが作っていたのは牢ではなく、迷いを切り捨てた楽園の残骸だった。その中心で、誰かの記憶がかすかにほどけていく。 姉が、まるで水面を破るみたいに私の名を呼んだ。音が戻る。次いで、泣き笑いのような呼吸が広がった。連れ去られたはずの人間関係の一部が、完全ではないにせよ、元の形へ戻ろうとしていた。私はその手応えを胸で受け止め、初めて戦いが終わりへ向かっているのを知った。 だが、マスターの顔だけは妙に穏やかだった。すべてが想定どおりだと言わんばかりに。私はそれを見て、まだ何かが残っていると悟る。救われたものの数だけ、救われていない嘘もある。終わったはずの戦場に、静かな不穏さが一枚、薄く貼りついたままだった。

9章 / 全10

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