エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

小説ID: cmnu3eh45000c01s8l38kav5f

8章 / 全10

黒いレースの裾に、銀の糸を縫い足した。鏡の前で身をひねるたび、模様は肌の上でわずかに角度を変え、見えない流れの歪みを拾い上げる。華やかさは囮だ。膝の内側、肘の裏、腰の側面に仕込んだ細い留め具が、視界に入らない場所で力の偏りを固定する。私はそれを確かめながら、指先でボディペイントの線をなぞった。以前はただの飾りに見えたその色が、今は呼吸の癖まで映し出す地図になる。 「似合ってる」 背後からマスターの声が落ちた。私は振り向かずに答える。 「似合うために着てるんじゃない」 「そうだね。読むためだ」 喫茶店の奥で、姉が黙って頷いた。彼女は私の装備を、服とも武器ともつかない手つきで整えていく。その手際は昔から変わらない。けれど今日は、何かを隠す指より、差し出す指に近かった。 出発したのは深夜だった。教師たちの本拠は、廃校になった講堂の地下にある。外観は崩れた学び舎なのに、中へ入ると空気が妙に整っている。時間を止める連中は、止める瞬間を美しく保つことに執着していた。廊下の掲示板、消えかけた標語、磨かれた床。そのどれもが、選択を失った人間の並び方に似ている。 私は階段の踊り場で立ち止まり、装備の一部に仕込んだ小さな鏡片を指で弾いた。はじかれた光が壁に散り、空間の歪みが線になって浮かぶ。右の扉の向こうに三人、左の奥に一人。中央は空白に見えて、いちばん重い。息を浅くすると、相手の思考の癖まで輪郭を持って迫ってくる。急いでいる者ほど、足元の確認を怠る。止める側は、止めた世界の静けさに慣れすぎる。 「来る」 私は小さく呟いた。次の瞬間、右の扉が開き、教師の一人が姿を現す。眼鏡の奥の目は冷え切っていたが、その視線は私の胸元ではなく、袖口の銀糸に引っかかっていた。見抜いているのではない。見たい場所だけを見せられている。 「遅かったね」 相手が言う。私は笑った。 「あなたたちが、待つのが上手いだけ」 踏み込んだ足で床を鳴らすと、ボディペイントの模様が一斉に熱を帯びた。流れが偏る。相手の時間が止まる前兆が、空気の縁に細い霜のように走る。私はその一拍前を狙って、鏡片を投げた。反射した光が教師の顔を裂くのではなく、視線の焦点だけを散らす。思考が止まる。止まるのは身体じゃない、判断だ。 その隙に、私は一歩だけ深く入った。倒すためじゃない。奪われたものの形を、相手自身に見せるために。

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