エラベノベル堂

吹き出す本音とカレー

全年齢

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1章 / 全10

車窓に流れる見慣れない町並みを、僕はただ黙って見ていた。研究所からの出向で転校、という言葉にすれば軽いが、実際は居場所を一つ丸ごと移すようなものだ。新しい制服の襟元が少しきつい。そう思った瞬間、窓ガラスに小さな吹き出しが浮いた。『首が苦しい。なんで僕だけこんな目に』  息を止めた。消えない。視線を逸らしても、吹き出しは僕の頭の上にしつこくついてくる。まるで心の中の独り言が、そのまま外に漏れ出しているみたいだった。  校門をくぐると、案内係の生徒が笑顔で近づいてきた。僕は平静を装い、丁寧に会釈する。すると吹き出しは勢いよく増えた。『笑顔が硬い』『絶対変に思われてる』『帰りたい』。案内係の眉がぴくりと動く。 「緊張してるんだね。特技?」  違います、とは言えなかった。次の瞬間には『特技って何だよ、そんな便利なものじゃない』が、くっきりと空中に並んでいたからだ。案内係は吹き出しを見て、なぜか感心したようにうなずいた。 「本音が見えるタイプなんだ。面白いね」  面白くない。そう思った途端、『面白くない。死ぬほど面白くない』が飛び出し、近くの数人が吹き出しを二度見した。僕は自分の口元を押さえたが、抑えれば抑えるほど文字は大きくなる。『落ち着け』『落ち着け僕』『もう無理だ』。  教室に入ったときには、すでに半分くらいの視線が僕に集まっていた。黒板の前で担任が自己紹介を促す。名前を言うだけで終わるはずだったのに、頭の中では『目立つな、静かに、誰とも深く関わるな』が渦を巻き、そのまま教室いっぱいに滲んだ。 「秘密主義なんですね」  誰かがそう言って笑った。僕は否定したかったが、吹き出しには『秘密だらけに決まってる。研究資料も、昨日の失敗も、昨夜の寝言も』と出てしまう。教室がざわつく。担任は最初こそ戸惑っていたが、やがて 「個性的だなあ」 と妙に納得した顔をした。  僕は席に着きながら、もう二度と心の中で何も考えまいと決意した。だが、その決意すら『何も考えない』『そんなことできるわけがない』『終わった』と、律儀に空中へ書き出される。隣の席の生徒が、吹き出しを見上げて小さく拍手した。 「すごい。無言でここまで自己開示できる人、初めて見た」  違う。そうじゃない。僕はただ、静かに高校生活を始めたかっただけなのに。

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