評議の座は、冬の炉火よりも冷えていた。秀吉が部屋へ入ると、控えの武将たちは一斉に頭を下げたが、その動きには敬意よりも様子見が濃かった。柴田の影、朝廷の気配、寺社の沈黙。どれもが一枚の板の上で静かに重なり、少し踏み外せば割れる。秀吉はその中央へ、わざと軽い足取りで座った。 「さて、皆々。仇は討った。次は、何を守るかでございますな」 冗談めかした一言に、幾つかの唇が緩む。だが緩んだのは顔だけで、目は別だった。秀吉は知っていた。ここにいる者の半分は、信長の死を悼みに来たのではない。空いた椅子の寸法を測りに来たのだ。 報告が続くたび、胸の奥に、薄い氷のような孤独が積もっていく。兵を集め、米を押さえ、道を整え、人を動かすほどに、自分の周りからは温度が抜けた。誰もが秀吉を必要とした。だが、誰も秀吉そのものを欲してはいない。その事実は、夜更けの陣で一人になるたび、骨まで染みた。 「殿、これで天下は……」 若い家臣が言いかけて、口を閉じた。天下。あまりに大きく、あまりに空しい響きだった。秀吉は笑った。笑わねば、喉の奥から別の音が漏れそうだった。 「天下とは、広いものよ。広いほど、ひとりでは抱えきれませぬ」 言い終えたあと、自分でその言葉の重さに気づく。猿と呼ばれたころは、群れに混じるのが当然だった。だが頂へ近づくほど、周りは跪き、遠ざかり、そして測るだけになる。肩を並べて笑う者は減り、目を逸らす者は増えた。 深夜、帳面を閉じた秀吉は、ふと信長の庭を思い出した。陽に温められた石、風に鳴る草、軽く笑って重い言葉を投げてきた主君。あの男のそばでは、孤独ですら戦の一部だった。だが今は違う。自分の孤独を笑い飛ばしてくれる者は、もうどこにもいない。 そのとき、戸の外で控えていた男が低く告げた。 「殿、京より届いた書状にございます」 封を開けた秀吉の指先が、わずかに止まる。そこには、誰を立てるかを巡る諸勢力の名が並んでいた。味方であるはずの者の筆跡も混じる。だが、最後に記された一文だけが違っていた。 己を信じるな。 それは脅しではなかった。忠告の形をした、別れの合図だった。 秀吉は書状を閉じ、しばらく動かなかった。頂に立つとは、誰より遠くへ行くことなのか。ふいにそう思う。笑いながら人を寄せ、寄せた人々の中で、結局は誰とも同じ高さに立てない。 窓の外では、雪にも似た白い息が闇へ消えていく。秀吉はその消え方を見つめ、自分の名を小さく呼んだ。返る声はない。あるのは、広すぎる場所に響く、自分だけの気配だった。 「猿は、木から離れるとこうなるか」 独り言は冗談の形をしていたが、笑える者はいない。彼は灯を見つめたまま、権力の頂が栄光ではなく、ひとりの人生を削って築かれる崖なのだと、ようやく悟った。
猿面の天下取り
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