エラベノベル堂

契約の夜に

全年齢

小説ID: cmobmldkb04mw01ll8oyjiny8

10章 / 全10

会場を出た瞬間、夜気が肺の奥まで入りこんだ。華やかな照明も、薄い笑い声も、扉の向こうへ閉じ込められていく。朝倉凛はしばらく黙ったまま歩き、やがて足を止めた。街路樹の影に紛れるように立ち、彼女はようやく俺を見た。 「……終わったんですか」 「いいえ。始まり方が分かっただけです」 彼女は苦く笑った。だが、その笑みはさっきまでの強がりではない。何かを受け入れた人間の顔だった。 「潜入の目的、知ってしまいました。表向きは調査でも、最初から私の会社の継承構造を揺さぶるための布石だったんですね。社長の座を奪うためじゃない。私が背負っている仕組みそのものを、都合よく崩すための」 蓮から最後に届いた情報が、頭の中で静かにつながる。古い慣習、曖昧な責任の流れ、名前だけを使う取引。敵は外にいたのではない。会社の中で、長く便利に使われてきた型そのものが、朝倉を縛っていた。 「強く見せれば守れると思っていました」 彼女は視線を落とした。 「でも、あれではただ、壊れやすいところを隠していただけでした」 「隠せたから、ここまで持ったんです」 「慰めですか」 「事実です」 朝倉は少しだけ目を丸くして、それから本当に小さく笑った。肩の力が抜けていくのが分かる。俺は彼女の横に並び、信号待ちの人波を見た。誰もこちらを見ていない。ただの二人に見える距離が、今はちょうどいい。 「これから、どうします」 彼女が問う。 「証拠を整理します。会社の中の誰が、何を守って、何を見逃したか。継承の形も、契約の流れも、全部洗い直すべきです」 「私ひとりでは、無理ですね」 「ええ。だから、ひとりでやらない」 朝倉はその言葉を聞き、しばらく黙っていた。やがて、まっすぐ前を向く。 「なら、あなたに頼みます。今度は、同行者としてじゃなくて」 「はい」 「一緒に、会社を見直してください」 その頼み方は、命令よりもずっと重かった。けれど、逃げる気は少しも起きなかった。偽装のために始まった関係は、もう役目を終えている。残ったのは、傷を知った同士の、静かな協力だった。 俺たちは歩き出した。会場へ戻るでもなく、完全に去るでもない。明日の打ち合わせへ向かうように、まだ見えない次の一手へ向かって。 朝倉凛は、もう一度だけ俺を見て、今度は飾らない声で言った。 「これからは、隣にいてください」 俺は頷いた。夜の街は広く、会社も継承も、まだ終わりではない。けれど、真相を知った今なら、選び直せる。二人はそのことを、同時に理解していた。

検閲済みプロット

地方から都市に出てきた真面目で粘り強い会社員の主人公と、若くして会社を率いる有能だが私生活では無防備な新人女性社長が、ある場所やイベントに入るために恋人・夫婦・同僚などを装って行動する。主人公の友人で軽薄に見えるが情報通のキーマンが物語のきっかけを作り、潜入の途中で想定外の事実が判明する。主人公は法律知識を生かしてヒロインを守り、事実を受け止めたところで物語が終わる。

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