「ねえ、聞いた?深夜の終電、怪しい噂があるらしいよ」 友人からのその言葉が、凪の好奇心をくすぐったのは、新婚生活に慣れ始めたある夜のことだった。旦那の奏人は残業で遅く、夕食を一人で済ませた凪は、なんとなく時間を持て余していた。 「幽霊が出るとか、守護霊が憑くとか……へぇ、面白そう」 彼女は薄っぺらい噂を確かめるべく、終電に乗り込んだ。がらんとした車内には、まばらな乗客と、冷え切った空気だけが漂っている。座席に腰を下ろし、窓の外を流れる夜景を眺めているうちに、ふと意識が遠のいた。どれくらい眠っていたのだろう。ふと目を開けると、車内の明かりが不穏に揺らめいていた。 「……あれ?」 吐息が白く凍る。肌にまとわりつくような冷気と、背筋を走る悪寒。凪は本能的に危険を察知したはずなのに、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、胸の奥が熱く疼く。 「誰かいるの?」 彼女の問いかけに答えるように、隣の席に白い影が揺らめいた。透き通るような肌、整いすぎた顔立ち、そして底知れない瞳。それは美しい青年の姿をしていた。 「よくぞ気づいたな」 低い声が脳内に直接響く。 「我が名は輝。最強の守護霊として数多の霊を統べてきた存在だ」 凪は瞬きもせず、その存在を見つめた。 「守護霊……?」 「そなた、好奇心で我を呼んだな。だが、ただでは帰さぬ」 輝は凪の顎に指をかけ、強引に顔を上げさせた。 「契約を結べ。我を受け入れよ」 抵抗する間もなく、輝の唇が重なる。氷のような冷たさが、口内を侵食し、喉の奥へと滑り込んだ。 「んっ……ふ……!」 痺れるような感覚が全身を駆け巡る。冷たいはずの彼の舌が、体内で熱を帯び始めた。 「あっ、なにこれ……体が熱い……」 凪は喘ぎながら、自らの太ももを擦り合わせた。見えない指が、服の上から肌を撫で回すような感覚。 「我を宿せば、そなたは霊視の能力を得る。だが代償として、霊たちがそなたを求めて集まるだろう」 「集まるって……何しに?」 「決まっている。未練を晴らすためだ」 輝は耳元でそう囁くと、音もなく凪の体へと沈み込んでいった。熱い塊が臍の下あたりに居座り、脈打つ。凪はその感覚に、知らず吐息を漏らした。 「これから毎日、いろんな霊がそなたに触れたがるぞ。覚悟しておけ」 車内の揺れが止まり、アナウンスが終点を告げた。凪はぼんやりとした頭で立ち上がる。体には見えない重みがのしかかり、下腹部には奇妙な満腹感があった。 「今日から、幽霊が見える日々か……」 彼女は駅のホームへと足を踏み出した。その瞳には、すでに普段の人間には見えないものが映り始めていた。
宿霊の凪
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