碧斗は会議室の隅で、画面に並ぶ修正指示を無表情に見つめていた。新規案件の説明資料は、午前中に投げ込まれてからまだ一度も完成形が見えない。誰が見ても地味な作業だが、締切だけは容赦なく近づいてくる。 評価会議では、発言の一つひとつが軽く流されていった。提案の筋は通っているはずなのに、声の大きい同僚の意見ばかりが拾われる。碧斗はペン先で机を叩きそうになるのをこらえ、画面の端に映る自分の顔を見ないようにした。仕事は遅くない。だが、なぜか積み上げたものだけが届かない。 終業の鐘が鳴るころには、頭の奥がざらついていた。帰宅の前に甘いものでも口にしようと、碧斗は駅へ向かう途中で、以前から気になっていたメイドカフェの看板に足を止めた。扉を開けると、柔らかな音楽と、過剰なくらい明るい声が迎えてくる。店内はまるで別世界だった。 その中心にいた杏花は、評判どおり抜群に愛想がよかった。注文を取る仕草も、笑う角度も、客を安心させるために磨き上げられているようだった。碧斗は少しだけ居心地の悪さを覚えながら、コーヒーを待つ。 だが、杏花が通路の端で空いたトレイを抱え直した瞬間、その笑顔がほんの一拍だけ剥がれ落ちた。視線は遠くを見ていて、口元は固く、次の瞬間には何事もなかったように元の明るさへ戻る。見間違いではない。あれは、仕事の顔の裏に沈んだ、別の表情だった。 碧斗は思わず視線を伏せた。自分もまた、会社では平気なふりをしている。誰にも弱音を見せない代わりに、評価されない苛立ちだけが胸の底で膨らんでいた。 杏花が運んできた皿を置くとき、二人の指先がかすかに触れた。杏花は何でもないように微笑んだが、碧斗にはその一瞬の間が妙に長く感じられた。隠しているものがある者同士だと、説明のないまま分かってしまう。碧斗はコーヒーの苦味を飲み込みながら、目の前の彼女をもう一度見た。 杏花もまた、碧斗の疲れた目を見ていた。明るい店の灯りの中で、互いに言葉にしない何かだけが、静かに形を持ちはじめていた。
夜を抜ける契約
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