エラベノベル堂

夜を抜ける契約

全年齢

小説ID: cmoleazcj000a01oce67ks539

9章 / 全10

会議室の空気は、昼を過ぎても冷えたままだった。碧斗の前に並ぶ資料の束の端で、翔馬が指先を組んでいる。余裕を装った姿勢は崩れていないが、その目だけは苛立ちを隠しきれていなかった。 「まだ続けるのか。君がいくら足掻いても、筋が悪いことに変わりはない」 見下すような声音だった。だが碧斗は、そこで反論の火種を拾わなかった。杏花から受け取った端末の断片、会社の承認履歴、契約書の版差分。散らばったものは、もう一つの輪郭を作っている。 碧斗は画面を切り替えた。送信経路、確認時刻、関係先の名義。そこに並んだ名前の一つが、翔馬の家に連なる関係者のものだと示されると、室内の空気がわずかに変わった。 翔馬の口元が一瞬だけ止まる。 「まさか、そこまで辿るとはね」 驚きよりも先に、侮蔑が漏れた。まだ自分の優位を信じたい声だった。 「辿る必要があっただけです」 碧斗は淡々と答えた。追手の黒幕が、杏花の勤務先を巡る流れと翔馬の家の関係先でつながっている。それだけで十分だった。今ここで翔馬個人の失点を徹底的に晒し上げれば、相手は会社ごと反発する。そうなれば案件は潰れ、杏花の立場も危うくなる。 だから碧斗は、翔馬を叩き潰すより先に、足場そのものを崩す道を選んだ。 「問題は誰が偉いかではありません。どこで責任が分散し、どこで不正が混ぜられたかです」 言葉を区切るたび、紙面の上に置かれた証跡が意味を持つ。碧斗は一気に追及せず、相手側の関係線を切り分けていった。杏花が見抜いた客の癖と同じだ。焦っている者ほど、説明が一拍遅れる。その遅れが、嘘の綻びになる。 翔馬は椅子をわずかに押し、低く笑った。 「君は勝った気になっているだけだろう。そんなやり方で、俺に傷をつけたつもりか」 「傷をつける必要はありません」 碧斗は静かに言った。 「失点を表に出す前に、続けられない形にする。それが最適です」 その瞬間、翔馬の表情から色が抜けた。怒りより先に、守るべきものを失う予感だけが浮かぶ顔だった。碧斗はそこを見逃さない。関係者の名義、流れを止めるべき箇所、会社として切り離す順番。すべてを、誰が見ても止めるしかない形へ整えていく。 翔馬はまだ何かを言い返そうとしたが、声にならなかった。碧斗の指が止まった先では、足場のひびがもう広がり始めている。窓の外で、薄い雲が流れていた。

9章 / 全10

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