それから桐乃は、暇さえあれば公園へ通うようになった。講義が終わると真っ直ぐにシンイチのいる場所へ向かい、おにぎりや温かい飲み物を手提げ袋に入れて持っていく。最初は 「ボランティアの延長」 と自分に言い聞かせていたが、回数を重ねるにつれて、その言い訳が通用しなくなっていった。 「また来たのかい」 シンイチはベンチに座り、古びた文庫本を読んでいた。表紙は色褪せているが、彼の手入れのおかげか、比較的綺麗な状態だ。 「はい。今日は芋煮を作ってきました」 桐乃は保冷剤を詰めたタッパーを取り出す。夏が終わり、秋の気配が漂い始めた頃だった。シンイチは本を閉じ、優しい眼差しを向ける。 「君は優しいね」 その言葉が胸に刺さる。優しさなんてじゃない。ただ、あなたに近づきたいだけ。会話を重ねるごとに、シンイチの人となりが分かっていった。彼はかつて高校で国語を教えていた。詩を愛し、生徒たちに言葉の美しさを説いていたという。しかし、身内の介護で仕事を休み、すべてを失った。 「後悔はしていないよ。人生には、守るべきものがある」 その言葉に、桐乃の胸が締め付けられた。この人は、誰よりも誰かを愛せる人なのだ。ある雨の日、桐乃は傘もささずに公園へ走った。シンイチのテントが見える。防水シートで覆われた青いテントが、雨風に揺れていた。 「シンイチさん」 呼びかけると、中から 「入れ」 と短い声が返ってきた。濡れた服のまま、桐乃はテントの中へ滑り込む。狭い空間に、彼の生活の匂いが充満していた。本と毛布、そして彼自身の体臭。 「風邪を引くぞ。これを使いなさい」 シンイチは毛布を桐乃の肩にかけた。その手が、ほんの一瞬、彼女の濡れた頬に触れる。電流が走ったような感覚。 「ごめん……」 シンイチは手を引こうとした。だが、桐乃はその手を両手で包み込んだ。 「触れていてください」 震える声。彼女はシンイチの瞳を見つめたまま、ゆっくりと顔を近づける。最初は触れるだけのキス。柔らかく、温かい感触。シンイチの手が、ためらいがちに桐乃の背中を抱き寄せた。無骨で、力強くて、でもどこか頼りないその腕。求めていたのはこれだと悟った。次の瞬間、桐乃は唇を押し付け直していた。
慈善の悦び
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