朝から続く城内のざわめきは、どこか落ち着かなかった。真由が自室を出ると、廊下の先で侍女たちが小さく身を寄せ合っている。近づくと、ひとりが慌てて顔を上げた。 「殿下、また花が……」 案内された温室には、今朝まで瑞々しく咲いていた白い花が、まるで息を止めたみたいにしおれていた。水は十分に与えられている。土も乾いていない。それなのに、花弁だけが力を失っている。真由は胸の奥に、昨夜から続く微かな違和感を思い出した。寝台のそばで灯した蝋燭の火が、理由もなく揺れたこと。手を伸ばした瞬間、風もないのに紙片が動いたこと。 「触ってもいいですか」 許しを得て、しおれた茎に指先を近づけた、そのときだった。目には見えない何かが、肌の内側をすべるように流れた。息を吸うと、花の周囲だけ空気が澄んだ気がした。次の瞬間、萎れかけていた一輪が、ゆっくりと首を持ち上げた。侍女が小さく息を呑む。 真由自身も、何が起きたのか理解できなかった。けれど手のひらの奥で、さっきよりはっきりと熱が灯っていた。試しに視線を移すと、鉢植えの葉先に薄い光の粒が集まり、雫のように落ちて消えた。 「今の、わたしが……?」 声にした途端、頭の奥が鋭く痛んだ。知らないはずの回廊、知らないはずの庭、誰かの呼ぶ声。断片だけが泡のように浮かび、すぐに壊れる。真由は思わず壁に手をついた。自分の名前すら、確かに握れているのか分からなくなる。 そこへ、老いた学者風の男が呼ばれて現れた。王宮付きの記録係だという彼は、花の変化を確かめると、難しい顔で真由を見上げた。 「殿下には、魔力の流れを感じ取る素質があるようです」 「魔法、ですか」 「ええ。ただ、妙です。殿下は幼い頃からこの城で学ばれてきたはずなのに、基本の記憶に触れた形跡がありません」 その言葉は、冷たい水を落とされたようだった。真由は反射的に笑おうとして、できなかった。自分にはこの世界での知識がない。それだけならまだしも、あるはずの記憶まで抜け落ちている。王女として求められるふるまいも、城の規則も、どれも誰かが差し出した役を着せているようで、ひどく頼りなかった。 それでも、しおれた花は今も静かに立っている。真由の指先が触れた場所だけ、淡い温もりが残っていた。失われた過去の輪郭は見えないままなのに、自分の中に眠る何かだけは確かに目を覚まし始めている。王女として振る舞わなければならない現実と、思い出せない自分自身。その二つを抱えたまま、真由はまだ名のない力の鼓動を、ひとり静かに受け止めていた。
記憶を継ぐ王女
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