迷宮へ向かう回廊は、石壁の冷たさまで張りつめていた。真由は王女としての衣をまといながら、胸の奥でひどく落ち着かない音を聞いていた。応接の間に通されたとき、そこにいたのは人ではあっても、人ならぬ気配をまとった男だった。肌は白く、瞳は深い闇を沈めたように静かで、立っているだけで空気の温度がわずかに下がる。迷宮を支配する魔族。その名を口にするだけで、周囲の侍従たちの背がこわばった。 彼は淡々と条件を述べた。城の地下に眠る古い封印を弱めるな、こちらの領域に兵を近づけるな、互いに不要な干渉は避けろ。真由は言葉の端にある引っかかりを拾いながら、王宮側が用意した返答を一つずつ並べた。だが、相手の目がほんの少し細くなるたび、交渉はずれていくのが分かった。誰かが双方の不信を前提に、この席を作ったのではないか。そう思った瞬間、彼の背後で壁の燭台が不自然に揺れた。 次の瞬間、城内に警報の鐘が鳴り響いた。地下区画の封印が破られ、魔力が暴走したという。兵が駆け込み、誰かが真由を指さした。魔族との接触の直後に起きた異変。あまりに出来すぎた流れだった。真由は何かを言おうとしたが、周囲の視線はすでに答えを決めている。さっきまで丁寧だった口調は冷え、侍女たちは顔を伏せ、近衛は彼女の行く手を塞いだ。 「殿下が、封印に触れたのでは」 責める声は一本では終わらなかった。王宮の誰かが必要としていた犯人像に、真由は都合よく収まってしまった。信用は音もなく剥がれ落ち、言葉は届かない。彼女は自分が追い詰められていくのを、どこか他人事のように見ていた。けれど、すぐに目の前の断片がつながり始める。鐘が鳴るより先に揺れていた燭台。扉の外で急ぎすぎる足音。封印の異変を知るには早すぎる者たちの表情。 真由は騒ぎに流されるふりをして、廊下の柱陰に視線を走らせた。誰が最初に鐘楼へ向かったか。どの兵が、異変の報せを聞く前から焦っていたか。順番を追えば、見えなかった輪郭が浮かぶ。犯人にされる自分を守る術は今はない。それでも、何が起きたのかを見落とさなければ、次の手はある。そう気づいたとき、胸の内に沈んでいた怖さが、少しだけ別の形に変わった。 やがて真由は城門の外へと連れ出された。追放というほど明確でもなく、しかし戻る場所を奪われたまま、石畳の先へ押し出される。背後で門が閉まる音がした瞬間、王女であるはずの自分が、ただの厄介者になったのだと知った。だが彼女は振り返らない。代わりに、城壁の上を流れる風の向きと、門番の視線の揺れを静かに見た。逆境は、すべてを奪うだけではない。奪う側の癖も、隠したがる焦りも、こうして輪郭を与えてくれる。真由はひとり、冷たい空の下で次に踏み出す足の置き場を探し始めていた。
記憶を継ぐ王女
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