閉店後の店内は、昼間よりもずっと静かだった。相良陸斗はカウンターの奥で端末を開き、さっきまで拾い集めていた断片をもう一度並べ直していた。誰かの憶測に引きずられないようにするには、感情より先に順番を整える必要がある。どの投稿が先で、どの言い回しが同じで、何が誰の不安を煽っているのか。ひとつずつ見ていくと、騒ぎの輪郭は思ったよりも薄っぺらかった。 陸斗は確信めいた言葉を避けた。断定すれば、また別の火種になる。だから、配信を見に来る視聴者に向けて、落ち着いた口調で情報を整理していく。確認できた時系列だけを伝え、未確認の話は未確認だと明記する。強い言葉で誰かを叩くのではなく、流れてくる噂の中に混ざった不自然さを見抜いてもらう。感情を煽る文章が目立つほど、静かな説明は届きにくい。それでも、必要な土台はそういうものだと思った。 数件の投稿に同じ時間帯の重なりがあること、言い回しが似すぎていること、莉緒の行動を知っているようで実際には曖昧な部分ばかりであること。陸斗はそれらを淡々と書き出した。白か黒かを急がず、まず空白を空白のまま示す。すると、少しずつ反応が変わっていく。拡散の勢いに乗っていた視聴者の一部が、立ち止まったようだった。 その画面を、莉緒は少し離れた席から見ていた。帽子は深く、マスクも外していない。それでも、いつもより肩の力が抜けているのが分かった。陸斗の言葉が誰かを傷つけるためでなく、自分を守るために使われている。その事実が、彼女には新鮮だったのかもしれない。 「こんなふうに言ってもらえるとは思ってなかった」 かすれた声だった。陸斗が顔を上げると、莉緒はカップの縁を指でなぞったまま、視線だけを端末に向けていた。 「俺が見えた範囲を並べただけだよ」 「それが、ありがたいんだよ」 莉緒はそう言って、ほんの少しだけ息をついた。強気に振る舞うときの張りつめた気配が、今は薄れている。だが、その安堵の奥に、別の迷いも見えた。陸斗がここまで関われば関わるほど、彼を巻き込む危険が増える。自分の周囲で起きていることは、軽い好奇心で触れていいものではない。そう分かっているからこそ、心を開きかけたぶんだけ、引き止めたくもなる。 陸斗はその揺れを責めなかった。むしろ、迷っていること自体が彼女の誠実さに思えた。守られたい気持ちと、巻き込みたくない気持ちが同じ場所でぶつかっている。莉緒はしばらく黙ったあと、小さく顔を伏せた。 「でも、これ以上近くにいたら、あなたまで面倒に巻き込まれるかもしれない」 その言葉に、陸斗はすぐ返事をしなかった。店の時計が、静かに一秒を刻む。外では風が看板を鳴らしていたが、店内の空気は不思議と落ち着いていた。 「それでも、今は離れない」 短く答えると、莉緒は驚いたように目を上げた。陸斗はただ、目の前の端末を閉じる。その仕草だけで十分だった。彼女はまだ完全には信じ切れていない。それでも、誠実に向き合われた時間だけは、確かに積み重なっている。莉緒は何も言わずに、湯気の消えたカップを両手で包み直した。
喫茶店から守る声
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