エラベノベル堂

喫茶店から守る声

全年齢

小説ID: cmotm8j6t02d001pc1hz7hmrq

7章 / 全10

閉店後の店内に、まだ配信の残響だけが薄く残っていた。相良陸斗は端末を伏せ、窓際の席に視線をやった。莉緒は帽子を深くかぶったまま、椅子に身を沈めている。画面上の騒ぎは少しずつ収まりかけていたが、今度は配信と連動するように、周囲の人間関係にまで疑いの目が向き始めていた。誰かが見ている。誰かが知っている。そんな空気が、店の外にまで広がっているのが分かる。 陸斗は呼吸を整え、カウンターの内側からグラスをいくつか出した。何か大きなことをする必要はない。ただ、現実の中に、疑いより先に安心が置ける場所を作ればいい。そう思ったとき、扉の鈴が静かに鳴った。入ってきたのは、顔なじみの常連たちだった。いつもなら雑談をしに来る時間だが、今日は言葉を選ぶように足取りが遅い。 「今、変な投稿が回ってるんだろ」 年配の常連が、席に着く前にそう言った。 「何が本当か分からないけど、ここが落ち着くなら、少しは役に立つかと思ってな」 その言葉に続くように、別の常連が紙袋を差し出した。温かい焼き菓子だった。派手な差し入れではない。けれど、疑念で縮こまった空気の中では、そんな気遣いのほうがよほど心強い。陸斗は礼を言い、空いている席へ案内した。店の中に人の気配が増えるだけで、莉緒の肩の強張りがわずかにほどけるのが分かった。 陸斗はあえて大きく騒がないまま、常連たちに手を借りた。店の入口を気にかける目を増やし、外から見て不自然にならない範囲で、莉緒が一息つける時間を確保する。飲み物を切らさず、視線が集まりすぎない席を選び、話題も当たり障りのないものに整える。誰かに守られていると露骨に感じさせないことが、今は大事だった。 莉緒は最初、黙ってその様子を見ていた。だが、カップを手に取るまでの迷いが短くなり、ふとした拍子に息を吐いた。 「……人がいると、少し違うね」 陸斗はうなずくだけに留めた。安心は、言葉より先に体温で伝わることがある。常連のひとりが、何気ないふりで窓際の席を空け、別のひとりが店先の様子を見てくれる。小さな協力が重なるたび、店の中は外のざわめきから切り離されたみたいに静かになっていく。 莉緒は焼き菓子をひとかけ口に運び、少しだけ目を細めた。いつもの強気な色は薄い。それでも、ここでは無理に張りつめていなくていいと、身体が先に理解し始めているようだった。陸斗はその変化を見逃さなかった。騒ぎを消すことはできない。だが、騒ぎの届かない場所を作ることはできる。 外ではまだ、誰かの断片的な言葉が不信感を煽っているのかもしれない。それでも、この店の中だけは違う。湯気の立つコーヒーと、常連たちの控えめな気遣いが、莉緒の周りに薄い壁を編んでいく。陸斗は静かにグラスを拭きながら、その壁が崩れないように見守った。莉緒はようやく、短く息を吐いて目を閉じた。ほんの一瞬だけ、逃げ場のない夜に差す灯りのように。

7章 / 全10

TOPへ