私は制御盤を見つめたまま、額の汗を指先で拭った。熱のせいで視界がにじむ。だが、今しがた瞬いたはずの表示は、まだ私の目の端にこびりついて離れなかった。温度計は三十八度を示している。そう見えた。だが次の瞬間、数字は二十六度へ跳ね、すぐにまた元へ戻る。 「故障か……それとも」 言葉の続きは喉の奥で乾いた。機器の熱暴走にしては、変化があまりにも滑らかすぎる。まるで誰かが、わざと画面の上を指でなぞっているみたいだった。 背後で、かすかな音がした。最初は機材のファンが軋んだのかと思ったが、違う。廊下のほうだ。床を踏む、一定の間隔の足音。ひとつ、ふたつ、やけに落ち着いたリズムで、こちらへ近づいてくる。 私は振り向いた。研究室の扉は閉まっている。だが、扉の向こうに誰かが立っている気配だけは、はっきりとわかった。汗で濡れた背中に、別の冷たさが貼りつく。さっき感じた一瞬の涼気が、今度は逃げずに首筋へ残った。 足音は止まらない。けれど、ノブは回らない。ノックもない。それなのに、廊下の暗がりから誰かがこちらを見ている気がして、私は息を詰めた。視線というには曖昧で、しかし確かに向けられている圧だけがあった。 「誰だ」 声は思ったより掠れていた。返事はない。代わりに、モニターの数字がまた揺れた。二十五度。三十七度。二十七度。目で追うだけで、頭の芯が熱と寒気で掻き回される。私は机に手をつき、倒れないように踏ん張った。 研究室の空気が、少しずつ変わっていく。暑さは相変わらず強いのに、その奥に、説明のつかない冷えが混じり始めていた。足音はなおも近い。けれど扉の外に何がいるのか、確かめる勇気は出ない。見えないものに囲まれている感覚だけが、じわじわと逃げ道を塞いでいく。 私は制御盤の前で立ち尽くした。熱に焼かれるはずの夜に、なぜこんなにも背筋が冷えるのか分からない。ただひとつ確かなのは、この研究室には、私の知らない何かがいるということだった。
灼熱研究室の雪女
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