「来る……」 莉子が震える声で囁いた。白い霧の中から、足のない女がゆっくりと近づいてくる。その瞳は空洞のように暗く、肌は透き通るほど白い。 「私が演じていたのは、あんなんじゃない……」 莉子は信一の腕の中で小さく縮こまった。 「本物だ」 信一は彼女を背に隠し、女と対峙した。全身が強張り、指先一動かせない。女は無言で腕を伸ばす。長い爪が、信一の頬をなぞった。 「熱い」 女が初めて口を開いた。その声は、風が岩を削るような、かすれた音だった。 「お前たち、熱い」 信一は言葉を失う。女は首を傾げ、冷ややかな瞳で二人を見つめた。 「私も、昔は……誰かの熱が欲しかった」 その言葉に、莉子が顔を上げた。 「えっ」 女はふっと微笑んだ。人を凍らせる妖怪の表情とは思えない、寂しげで、どこか慈愛に満ちた笑みだった。 「お前たちは、互いの熱を持っている。私には、もう届かないけれど」 女はゆっくりと後退る。霧と共に、その姿が薄れていった。 「偽物が本物を呼んだのではない。お前たちが、私を鎮めた」 最後にそう囁くと、女は完全に霧散した。エアコンの轟音が止まる。表示は正常な室温に戻り、窓ガラスの霜が溶け始めた。 「行ったのか」 信一が呟く。莉子は信一の胸に顔を埋め、安堵の涙を流した。 「先生……私たち、生きてる」 「ああ」 信一は彼女を強く抱きしめた。研究室には、朝日が差し込み始めていた。真夏の夜の怪異は、一夜の夢のように消え去った。だが、二人の腕の中にある温もりだけは、紛れもない現実だった。 「先生、これからどうしますか」 莉子が潤んだ瞳で見上げる。 「修理費、出してくださいよ」 信一は苦笑した。 「ああ。そして、これからも」 二人の唇が重なる。朝日の光の中、新たな関係が静かに始まった。
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真夏の深夜、大学教授の信一は壊れたエアコンと実験機器の熱で灼熱地獄となった研究室にいた。暑さに耐えかねていると、怪奇現象のような冷気と幻影が現れる。その正体は、修理費を出し渋る信一を脅すために女子学生の莉子が仕組んだ悪戯だった。正体がバレた莉子と、暑さと恐怖の解放感から激しく情交を重ねる。事後、突如エアコンが稼働し、設定温度は異常な−30℃を示す。リモコンに触れた者はいない。そこには本当の"何か"が潜んでいた。













