翌日も、遥奈は人の気配が薄くなる時間を待って、自室の戸をそっと閉めた。机の上に置いた小瓶の中で、小さな軟体の生き物は昨夜より少しだけ体を伸ばしている。気のせいではない、と彼女は思った。ひんやりした水を取り替え、瓶の縁を拭い、少し柔らかい布を添えてやる。食べ物は相変わらず、その前に置いても動かなかった。けれど遥奈が指先で瓶を軽く叩き、落ち着いた声で名を呼ぶように話しかけると、透明な体がゆるやかに波打つ。 「お腹がすいていないの? それとも、これじゃないのかしら」 返事はない。それでも、昨夜より確かに反応がある。その小さな変化が、遥奈には妙にうれしかった。役に立てたという感覚は久しく遠かった。屋敷の中では、彼女のすることはたいてい無意味か、あるいは邪魔だと見なされる。だがこの生き物だけは、彼女が静かに手をかけるほど、目に見えて形を変えていく。 朝のうちに片づけた花弁を少し分けて瓶のそばへ置いてみても、興味を示さない。そこで遥奈は、食べることより、まず安心させるほうが先なのだと考えた。布越しに瓶を包み、膝の上に乗せて、壊れものを扱うみたいに慎重に温める。すると中の体は、昨日よりひとまわり大きくなったように見えた。液面に映る影も、前よりはっきりしている。 遥奈は息を呑んだ。たった一日で、こんなにも変わるものだろうか。戸惑いはあったが、怖さより先に不思議な手応えが胸に満ちる。自分の手で何かを育てている。その実感が、かすかな灯のように心を照らした。 午後、日差しが壁の端を淡く染めるころ、彼女はもう一度やさしく声をかけた。今度は瓶の外からではなく、両手で包み込むようにして、ゆっくりと語りかける。すると生き物は、ゆるんだ糸のように体を伸ばし、彼女の指先に沿うように寄ってきた。その仕草が、まるでこちらの気持ちを探しているみたいで、遥奈は思わず笑った。 名もないままの小さな命は、食べ物ではなく、静かなぬくもりにだけ応える。けれどその事実が、今の彼女には十分だった。遥奈は瓶を胸に寄せ、成長したぶんだけ重みを増したそれを確かめる。秘密はまだ秘密のままだ。だが手の中にあるこの確かな変化だけは、もう誰にも奪われたくないと、そう思った。
地下のトモダチ
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