エラベノベル堂

願いは旧制服

全年齢

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1章 / 全10

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夕方の光が、住宅街の窓ガラスをやわらかく染めていた。美樹は台所の片づけを終えて居間に戻り、ソファの端に置いた買い物袋を脇へ寄せたところで、玄関のチャイムに顔を上げた。扉を開けると、そこに立っていたのは近所に住む高校生の正樹だった。少し肩を落とし、どこか言いにくそうに視線を泳がせている。 「美樹さん、少しだけ相談があるんです」 その声は普段より小さかった。美樹が中へ通すと、正樹は居間の端に腰を下ろし、テーブルの上へ返却されたばかりの小テストをそっと置いた。赤い印がいくつも並んだ紙を見た瞬間、美樹は眉をひそめる。点数そのものより、彼の元気のなさが気になった。 「最近、勉強がうまくいってないの」 正樹は苦笑し、頭をかいた。部活や友人との付き合いで生活が乱れ、机に向かっても気持ちが続かないらしい。昔から顔見知りで、幼いころから何かと面倒を見てきた彼のそんな様子に、美樹は放っておけなかった。 「じゃあ、ここで見てあげる。今日から少しずつ立て直しましょう」 思わず口にした言葉は、自分でも驚くほど自然だった。正樹は目を丸くし、それからほっとしたように息をつく。家庭教師と呼ぶには少し気安いが、二人ならそれで十分だった。美樹はダイニングの椅子を引き、正樹のノートを開かせる。まずは解ける問題からやり直し、わからない箇所はその場で止める。正樹の字の乱れや、途中で抜け落ちた計算の癖を見つけるたび、美樹は指先で行を追いながら丁寧に直した。 「焦っても増えないわよ。今日は少しだけでも前に進めばいいの」 正樹はうなずき、居眠りしそうになるたびに姿勢を正した。美樹はその様子を見て、机に向かうときの呼吸や飲み物を取る間合いまで細かく整えていく。長く続けるには、知識より先に生活のリズムがいる。彼の乱れた習慣を、少しずつ静かな線で結び直していく感覚だった。 やがて、日が傾いて窓の外が群青に近づくころ、正樹は最後の問題を解き終え、えへへと曖昧に笑った。まだ十分ではない。それでも、最初に来たときの沈んだ顔とは違っていた。 美樹は答案を見直し、鉛筆を置く。 「この調子なら、テストでも結果は変わるかもしれないわね」 「ほんとですか」 「ええ。だから条件をつけましょう」 正樹が首を傾げると、美樹は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。 「テストで良い結果を出したら、願いを一つ聞く。どう?」 正樹は一瞬、言葉を失った。けれどすぐに、子どものころと同じような無邪気さで目を輝かせる。 「約束ですからね」 「ええ、約束よ」 その返事のあと、居間には夕方の静けさが戻った。けれど空気はもう、勉強を見守るだけのものではなかった。正樹の背筋は少し伸び、美樹もまた、次に何を見せられるのかを知らないまま、軽い勝負の始まりを感じていた。

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