エラベノベル堂

湯上がり勘違い夜話

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1章 / 全10

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「うわ、空気がもう最高じゃん」 玄関をくぐった瞬間、真っ先にそう言ったのは亮だった。山の夕方は少しひんやりしているのに、宿の中は木の匂いと湯気の気配でやわらかく満ちている。磨かれた床に靴音が響くたび、旅に来たんだという実感がじわりと広がった。 「でしょ。こういうとこ、なんか恋人同士って感じするよね」 結衣が笑うと、隣の恭平が肩をすくめた。 「最初からそんなこと言ってると、あとで何か起きても知らないぞ」 「何かってなに」 「さあ?」 そのやり取りに、もう一組の奈緒と翔太が顔を見合わせて吹き出す。四人で来ると決めたときから、こうなる予感はしていた。気楽で、遠慮がなくて、でもどこか見ていてくすぐったい。それがこのメンバーのいつもの空気だった。 カウンターで手続きを済ませるあいだも、誰かが先に露天風呂に入るだの、食事は絶対に全部食べるだの、楽しそうな声が重なる。宿の人に案内され、部屋の扉が開いた瞬間、結衣が 「え、広っ」 と声を上げた。 畳の香りがふわっと上がり、窓の向こうには山の斜面が薄青く沈んでいる。布団はまだ敷かれていないが、四人で過ごすには十分すぎる広さだった。 「ほんとに同じ部屋なんだな」 翔太が荷物を下ろしながら、わざとらしく腕を回す。 「だってそのほうが楽しいでしょ。変に気を遣わなくて済むし」 奈緒がそう返すと、亮がにやりとした。 「気を遣わない、ね。じゃあ遠慮なく、あとでいろいろ暴露してやろうか」 「やめて」 「今の即答は怪しいな」 「怪しくない」 たったそれだけで笑いが起きる。靴下を脱いで座り込むだけで、もう一日分くらいの親密さが増した気がした。 「先に露天風呂行く?」 結衣が期待を込めて聞くと、奈緒が即座に頷く。 「行きたい。景色見ながら入れるやつでしょ」 「そのあと食事だな。地酒もあるって聞いたし」 翔太がそう言うと、亮が目を細めた。 「お、いいこと言う。今日は旅なんだから、ちょっとくらい羽目を外してもいいよな」 「ちょっと、で済めばね」 結衣の横目に、亮は笑って肩を揺らす。誰かが誰かの袖を引き、誰かが冗談を返し、四人の会話は止まらない。荷物を置いただけなのに、もう部屋の中には小さないたずらの予感が生まれていた。 「ねえ、帰るまでに一回くらい、誰かをからかって勝つから」 奈緒が宣言すると、翔太が指を鳴らした。 「受けて立つ。絶対に負けない」 「その自信、あとで崩してあげる」 「言ったな」 楽しげな声が重なるたび、旅の夜は少しずつ色を濃くしていく。廊下の向こうからは他の客の足音がかすかに聞こえ、窓の外では山の影がゆっくり長く伸びていた。 「よし、じゃあまずは風呂、次に飯、最後に部屋で勝負。完璧」 亮が手を打つと、結衣は呆れたふりで笑った。 「勝負って何」 「それは秘密」 「もう、その時点で怪しい」 そんなふうに言い合いながら、四人はそれぞれの荷物に手を伸ばした。少しだけ先の夜に向かって、誰もが浮かれたまま、まだ起きてもいない小さないたずらを胸のどこかで楽しみにしていた。

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