エラベノベル堂

謝罪出張、ふたり部屋

全年齢

小説ID: cmpddqolf08qb01p4wekho8it

1章 / 全10

謝罪出張、ふたり部屋 の小説画像

画面の一部が、妙に見慣れない並びになっていた。 相沢美奈は指先でマウスを止めたまま、何度も目をしばたたいた。会議資料の最終ページ。役員名の横に入るはずの数字が、ひとつだけ違っている。桁がずれている、なんて生やさしいものではない。提案の前提そのものが、別案件の値にすり替わっていた。 「……うそでしょ」 声が、喉の奥でかすれた。背筋から熱が引いていく。昼過ぎに送ったデータ。確認したつもりだった。いや、確認したはずだ。けれど、どこかで見落としていた。たった一箇所のミスが、会議で使われていたらどうなっていたか。想像した瞬間、胃の底がきゅっと縮む。 隣席から、椅子のきしむ音がした。 「相沢」 呼ばれて、肩が跳ねる。神崎真人はパソコンの画面を見たまま、感情の薄い声で続けた。 「その数字、違うな。提出先にもすでに回っているなら、今すぐ差し替えろ。送信履歴を確認して、該当者に先に一報を入れる」 「は、はい……」 「はい、じゃない。どこでずれた」 視線を上げると、神崎の顔はいつも通り冷静だった。けれど、その冷たさが逆に怖い。机の上の書類を一枚ずつめくる指先まで、無駄がない。怒鳴るわけでもないのに、詰め寄られている気がした。 美奈は唇を噛み、ファイルを開いた。送信済みのメール、共有フォルダ、修正版の履歴。震える指で辿りながら、胸の奥がじわじわ冷えていく。見つけたくない場所で、見つけてしまう。数字を入れ替えたのは自分だ。しかも、別の案件のテンプレートを開いたまま、上書きしていた。 「私……間違えました」 言った途端、顔が熱くなった。神崎は返事をしない。黙ったまま立ち上がり、デスクの端に積まれた資料を指で整える。 「いいか。ここから先は謝る順番を間違えるな。まず関係部署、次に先方だ。余計な言い訳はするな。事実だけ伝えろ。俺が必要な文面は作る。おまえは送信経路を洗え」 「……はい」 「それと」 神崎がようやくこちらを見た。その目は鋭い。まるでミスそのものを切り分けるみたいに、容赦がない。 「今回のは、あと一歩で済む話じゃない。相沢、おまえは今夜、謝罪から逃げられないと思え」 美奈は息を飲んだ。 逃げられない。その言葉が、胸の奥に重く沈む。窓の外では夕方の光がビルの谷間へ落ちていく。オフィスのざわめきも、キーボードの音も、遠くに霞んで聞こえた。自分のせいで起こした穴が、これからどれだけ大きくなるのか。想像するだけで、足元が揺らぐ。 「……はい」 絞り出した返事は小さかった。神崎はそれ以上何も言わず、すでに別の資料へ目を戻していた。けれど、その横顔はひどく厳しいまま変わらない。 美奈は震える手で、差し替え用のファイルを開いた。画面の白さが、やけに目に痛い。まだ始まってもいないのに、もう終わってしまったような気がした。

1章 / 全10

TOPへ