エラベノベル堂

封印の祠

全年齢

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1章 / 全10

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橘ひなは、職員室の引き戸をそっと閉めた瞬間、自分の肩が少しだけ跳ねたのを感じた。 机の列は思った以上に雑然としていて、積み上がった書類の山の隙間から、誰のものともつかないマグカップがのぞいている。窓際では古い扇風機が低くうなり、コーヒーと印刷室のインクが混じったような匂いが漂っていた。ひなは胸の前で抱えた教員証を握り直し、深呼吸した。 「よし、私が見本になる。生徒が安心できる、ちゃんとした先生に」 声に出すと少しだけ勇気が湧く。そう思ったのに、返事をしたベテラン教師は忙しなくプリントをめくったまま、 「二年A組、あとで顔を出して」 と短く告げただけだった。 教室へ向かう廊下の窓から、四月の光が斜めに差し込む。春なのに、空気は妙に乾いていた。ひなは扉を開け、整った笑顔を作る。 「橘ひなです。今日からよろしくお願いします」 視線がいくつも返ってきた。けれど、それは期待よりも、眠気と疲れを含んだ色に見えた。机の上には消し切れない鉛筆の跡、床にはいつ片づけたのかわからない紙くず。誰かがかすかにあくびを噛み殺す。 ひなは黒板の前で言葉を続けようとしたが、喉が少し詰まった。 理想なら、この瞬間、生徒たちは新しい先生に少しは目を輝かせるはずだ。だが現実は違う。うつむいたままノートを開く者、窓の外ばかり見る者、背中を丸めたまま動かない者。ひなはその沈んだ空気に触れた気がして、用意してきた自己紹介の文を半分ほど飲み込んだ。 「えっと……困ったことがあったら、何でも相談してください。できるだけ、力になります」 その言葉だけが、妙に空々しく教室に落ちた。 放課後、初日の務めを終えたひなは、紙束の入った鞄を抱えたまま校門を出た。帰り道は山の斜面に沿う細い道で、街の明かりがまだ遠い。舗装はところどころ割れ、夕方の風が木々を鳴らしていた。 「こんなところまで歩くなんて、聞いてないよ……」 ぼやきながらも、胸の高鳴りは朝より少しだけ強い。新任教師としての一日を終えた高揚感が、足取りを軽くしていた。 だが、途中で分かれ道を見誤った。 標識は古く、苔に半分隠れている。右へ行けばバス通りのはずなのに、ひなはなぜか左の獣道へ入ってしまった。すぐに引き返そうとしたが、足元の土は思ったより滑り、気づけば木立の奥へと分け入っていた。 「うそ、こっちじゃない……!」 見覚えのない石段を上がると、小さな祠がぽつんと立っている。朱塗りは剥げ、縄は色あせ、それでも不思議と古い温もりが残っていた。ひなは息を呑む。 懐かしい。初めて見るはずなのに、胸の奥がきゅっと疼く。 近づいた瞬間、足元の落ち葉が不自然に沈んだ。ひなは体勢を崩し、祠の前へ膝をつく。 「なんで、ここ……」 言いかけた声が、途中で途切れた。 風が止み、山の匂いが遠のく。代わりに、誰かの呼ぶ声だけが耳の奥で反響した気がした。ひなはそのままゆっくりと目を閉じ、答えのない不安と、理由のわからない懐かしさに包まれながら、意識を手放した。

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