隣家の壁に灯る玄関灯が、細い門扉の金具をやわらかく照らしていた。日が落ちてからしばらく経ったはずなのに、辺りにはまだ夕方の名残みたいなぬくもりが残っている。隼斗が立ち止まると、向かいの家から出てきた若菜も、同じように足を止めた。 「……やっと終わったね」 若菜はそう言って、少しだけ照れたように笑う。今日はもう、あの背伸びした服装じゃない。いつもの自然な格好で、髪も肩のあたりに軽く落ちているだけだった。 「長かったな」 「ほんとに。私、途中ですごく回り道した気がする」 「してたな」 「そこ、否定しないの?」 「だって事実だし」 若菜はむっとした顔を作ったが、すぐに吹き出した。隼斗もつられて笑う。さっきまで胸の奥に引っかかっていたものが、笑い声と一緒に少しずつほどけていく。 「でもさ」 隼斗が言うと、若菜は首をかしげた。 「ん?」 「俺も悪かった。勝手に言わなくても分かるだろって、どこかで思ってた」 若菜の目が、ほんの少しだけ丸くなる。 「……それ、ちゃんと反省してる?」 「してる」 「ほんとに?」 「ほんとに」 隼斗は肩をすくめて見せた。 「噂に振り回される前に、本音を先に言う。そっちのほうがずっと大事だって分かった」 若菜はじっと隼斗を見て、それから、ふっと目を細めた。 「じゃあ、約束ね」 「何を」 「次はちゃんと最初に相談する」 「ああ」 「私も。変な思い込みをしてたら、先に聞く」 その言葉に、隼斗は少し驚いてから、自然と頬がゆるんだ。 「できるのか、それ」 「できるよ、たぶん」 「たぶんかよ」 「そこは笑うところじゃないでしょ」 口ではそう言いながら、若菜の声はもう拗ねていない。門扉の前で向き合う二人の間に、気まずさは残っていなかった。あるのは、誤解を越えたあとにだけ生まれる、少し気恥ずかしい安心感だけだ。 「なあ、若菜」 「なに」 「もう、無理に背伸びしなくていいからな」 若菜は一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さくうなずいた。 「……うん。隼斗も、変に黙らないで」 「努力する」 「努力かあ」 「そこは信じろよ」 若菜は笑いながら、門扉の鍵に手をかける。その仕草を見て、隼斗も自分の家の方へ少しだけ身を向けた。 「じゃあ、帰るか」 「うん」 並んで一歩を踏み出すと、家と家の間の短い道が、やけに長くも短くも感じられた。若菜は少し先を歩いてから、ふいに振り返る。 「ねえ、隼斗」 「ん」 「今日の私は、変じゃなかった?」 「変じゃない。いつも通りだ」 その答えに、若菜はほっとしたみたいに笑った。隼斗もまた、少し照れたまま笑い返す。 隣同士の距離は、たった数歩だ。けれど今は、その数歩が妙にあたたかい。 「じゃ、おやすみ」 「おう。おやすみ」 二人は同じように少しだけ頬を赤くして、それぞれの玄関へ向かっていく。門扉の向こうに消える直前、若菜がもう一度だけ手を振った。その小さな手振りに、隼斗も軽く返す。 夜の静けさの中で、誤解はもうどこにもなかった。
検閲済みプロット
隣に住む年下の幼馴染の女性が、ある日を境に少しずつ雰囲気の変わった装いをするようになる。主人公は彼女の意図を測りかねるが、買い物に付き合ううちに、彼女が引っ越しの噂を気にして自分を引き留めようとしていたことが分かる、すれ違いと勘違いを描くコメディ。
