「見てよ、また優勝カップ増えたんだけど」 橘美桜は体育館に響く声でそう言って、胸を張った。汗の乾ききらない道着の袖をくいっと持ち上げると、部員たちははいはいと笑いながらも、どこか誇らしげに彼女を見上げた。県大会の頂点に立ったのだ。自慢したくなるなというほうが無理だろう。 「先輩、さすがです」 「でしょう? まあ、私に勝てる相手なんて、そうそういないし」 勝ち気な言葉に、周囲はいつもの調子で拍手を送る。その空気を、ひとりだけ乱した。 「勝てる相手がいない、ね」 低く静かな声だった。振り向いた先にいたのは、転入してきたばかりの早瀬颯人だった。まだ部に入って日も浅いはずなのに、妙に落ち着いている。美桜は目を細めた。 「何、その言い方。言いたいことでもあるわけ?」 「いえ。ただ、優勝した直後の人は少し大きく見えるんだなと思って」 さらりとした返しに、部員たちの口元がわずかにひきつる。美桜は一歩近づいた。 「大きく見える、じゃなくて本当に強いの。あなた、わかってる?」 「強いかどうかは、見た目だけでは決められませんよ」 その瞬間、空気がぴんと張った。美桜の眉が跳ね上がる。挑発のつもりか、それとも天然か。どちらにせよ、気に入らない。 「ふーん。じゃあ試してみる?」 「何をですか」 「もちろん柔道。私が勝ったら、ちゃんと認めて。今の言い方、取り消してもらうから」 言いながら、美桜は勝ち誇るように顎を上げた。部員のひとりが小声で 「やば」 と漏らす。颯人は少しだけ瞬きをして、それから困ったようでもなく、逃げるようでもなく、まっすぐ彼女を見返した。 「いいですよ」 そのあまりに簡単な承諾に、美桜のほうが一瞬だけ言葉を失う。 「……へえ。意外と度胸あるじゃない」 「たぶん、そっちのほうが驚くと思います」 「なにそれ」 笑いに変えようとしたのに、胸の奥に刺さるような感覚だけが残った。部員たちの視線も、いつの間にか二人の間を行き来している。勝利を自慢していたはずの美桜は、なぜか足元が少しだけざらつくのを覚えた。 颯人は表情を崩さない。ただ静かに立っている。その静けさが、勝ち誇った空気を少しずつ削っていく。 「ねえ」 美桜がもう一度口を開くと、颯人は耳を傾けた。 「後悔しないでよ。私、今日すごく機嫌いいから」 「それは良かったです」 「どういう意味」 「そのままの意味です」 短いやり取りなのに、周囲の部員たちは妙に息を詰めた。美桜もまた、言い返す言葉を探して一拍遅れる。勝つことには慣れている。けれど、こうして軽々と受け流されるのは初めてだった。 不穏な沈黙が、体育館の床にゆっくり広がっていく。美桜は唇を吊り上げたまま、しかしその奥で、ひどく面白くない相手を見つけたときの高揚を覚えていた。早瀬颯人。転入生。何者なのかは知らない。ただ、たぶんこのままでは終わらない。 そう思った瞬間、彼の視線がまっすぐ返ってきて、美桜は自分が今、試合前よりもずっと強く意識されていることに気づいた。
約束の一本
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