エラベノベル堂

透明な境界線

全年齢

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1章 / 全10

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放課後の教室は、黒板に残った数式だけが妙に白く見えるくらい、静かだった。鞄を取りに戻った涼は、自分の席へ向かいながら、誰もいないと思っていた空間で足を止める。 「まだいたんだ」 声の主は美咲だった。窓際の席に寄りかかるようにして、こちらを見ている。いつもと同じように笑っているはずなのに、どこか試すような目だった。 「忘れ物」 「ふうん。涼って、そういうところあるよね」 「どういうところだ」 「必要なものをあとで思い出すところ」 からかわれているのか判断がつかず、涼は肩をすくめた。美咲はそれを見て、小さく息を漏らす。笑ったというより、確かめたような仕草だった。 「ねえ、涼」 「なんだ」 「私、変なこと言ってもいい?」 「内容による」 「じゃあ、たぶん大丈夫」 そう言うと、美咲は一歩だけ近づいた。教室に残る夕方の光が、彼女の影を長く伸ばす。涼は無意識に半歩引きそうになり、けれど、その動きを見透かされた気がして踏みとどまった。 「私ね、触れた相手の心が見えるんだ」 一拍、空気が止まる。 涼は反射的に眉を動かした。冗談にしては声が静かすぎるし、目が笑っていない。 「へえ」 それでも、できるだけ軽く返す。 「面白いな。じゃあ、俺の心でも読んでみるか」 「読めるなら、もう読んでる」 美咲はそう言って、さらに距離を詰めた。机ひとつ分もない。涼は言葉の代わりに、息を飲む。 「今、涼は信じてない」 「当たり前だろ」 「でも、完全には切ってない」 その言い方が妙に真っ直ぐで、涼は返事を忘れた。窓の外で部活帰りの声が遠ざかっていくのに、教室の中だけが別の世界みたいに静かになる。 「たとえばさ」 美咲が、少し首を傾ける。 「私が本当に見えてるって言ったら、どうする?」 「どうもしない」 「うそ」 「……冗談だ」 「ふふ。今の、ちょっと困ってた」 「困るに決まってるだろ」 涼は乾いた笑いを返したが、美咲のまなざしだけは真剣だった。からかいの形をしているのに、そこだけが妙に熱を帯びている。 「涼は、思ってるより人の気持ちを見ないふりするよね」 「余計なお世話だ」 「うん。だから、確かめたくなった」 「何を」 「あなたが、どこまで本気で驚くのか」 その一言で、教室の空気がわずかに変わった気がした。冗談半分で流せるはずの会話なのに、胸の奥が落ち着かない。涼は忘れ物を思い出したはずだったのに、今はそれよりも、この距離の意味のほうが気になって仕方がなかった。美咲は何も言わず、ただその不思議な静けさの中で、彼の反応を待っていた。

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