城門の前に立った瞬間、エリナは風の冷たさより先に、無数の視線の重さを感じた。石造りの城は夕闇を背負ってそびえ、門番たちは一糸乱れず槍を握っている。歓迎よりも監視に近いその気配に、彼女は背筋をまっすぐにした。 大丈夫。私は、ここへ来ると決めた。 そう自分に言い聞かせても、喉の奥には甘くない苦みが残る。和平交渉は失敗した。責任を負う形で、彼女は敵国へ渡り、人間の王子と結婚する。国のためだと誰もが言った。けれど本当は、人質と変わらない。そんな事実を、エリナは笑顔の仮面で包み隠した。 迎えに現れたアランは、想像していたより若く、そして無表情だった。金色の髪が夕日を受けて淡く光るのに、瞳だけは夜の湖みたいに静かで冷たい。 「遠路、ご苦労だった」 「お気遣いありがとう。王子殿下」 互いに礼を返す声は丁寧で、なのに少しも温かくない。二人のあいだに漂う空気が、まるで薄い氷の板のようにきしんだ。 「王女殿下でよろしいか」 「ええ。そちらこそ、形式だけでも夫になる準備はできているのかしら」 エリナがわざと軽く言うと、アランの眉がわずかに動いた。 「務めは果たす」 「それは頼もしいわ」 そう言いながら、彼女は心の中で舌を出した。こちらの負けを認める気はない。たとえこの婚礼が国境線のように冷たくても、見せる顔くらいは選べる。 式は、驚くほど淡々と進んだ。祝詞は流れ、花びらは散り、誓いの言葉は石壁に吸い込まれていく。拍手も歓声も控えめで、周囲の貴族たちは一様に表情を固くしていた。まるで新しい絆を祝う場ではなく、長い争いを一時停止させるための儀礼みたいに。 エリナは隣に立つアランの横顔を盗み見た。彼もまた、完璧な微笑を作っている。その笑顔が作り物だと、なぜだかすぐに分かった。 「笑えているわよ、殿下」 小声で告げると、アランも視線をこちらへ寄せた。 「そちらもな」 「なら安心ね。私たち、見た目だけは仲睦まじい夫婦になれそう」 「見た目だけで十分だ」 その答えは、思ったより鋭かった。エリナは一瞬だけ言葉を失い、すぐに肩をすくめてみせる。 「ずいぶんはっきり言うのね」 「曖昧にする理由がない」 冷えた返事に、彼女は胸の奥で小さく息を吐いた。近づくための言葉は、まだ一つも見つからない。互いの間にあるのは、理解ではなく警戒だけだ。 それでも、退ける場所はもうなかった。 王と王妃への挨拶が終わり、最後の誓約が告げられる。外では夜の気配が門の向こうからゆっくり満ちてきていた。エリナは微笑みを崩さないまま、心の中でつぶやく。 ここからが始まりだ。最悪の形で、けれど確かに。 そのとき、古老が低い声で祝福の詞を唱えた。古びた響きが石床を震わせ、二人の足元に見えない輪が広がる。 エリナは、胸の奥がふいに熱を帯びるのを感じた。アランもまた、何かに気づいたように目を見開く。 そして次の瞬間、部屋の空気が、ほんのわずかに白く揺らいだ。
涙が溶ける場所
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