午前のリハビリ室は、窓から差し込む光が白くて、床の影まで淡かった。陽菜はベッド脇のマットに腰を下ろし、右膝を少しだけ伸ばす。昨日よりは歩ける。けれど、走るにはほど遠い。そう自分に言い聞かせても、悔しさは簡単には引っ込まなかった。 「まず、ここまで曲げてください」 宗介の声は相変わらず落ち着いている。白衣の袖をたくし、彼は陽菜の脚の角度を確認した。手袋越しの指先が膝の周りをなぞり、可動域を確かめる。痛みはある。けれど、それ以上に気になるのは、さっきから妙に近い距離だった。 「ちょっと待って。そこ、もう少し下?」 「下げます」 短く答えた宗介が、膝を支える位置を変える。その瞬間、彼の指先が思ったより長く陽菜の肌に残った。 びく、と肩が跳ねる。触れた場所から、じんと熱いものが広がった。最初はただの違和感だと思った。だが次の瞬間には、それが陽菜自身の痛みではないと気づく。鈍く重い圧迫感が、膝の奥のさらに奥から滲み出てくるような感覚。踏み出すたび、膝から響くような、我慢を積み重ねた痛み。 「……っ」 声にならない息が漏れた。 それだけじゃない。胸の奥に、ひどく乾いた疲れが流れ込んでくる。眠っても抜けない重さ。誰にも頼れないまま、ひとりで立ち続けている感じ。診察室で見た無表情の裏に、そんなものが隠れていたのかと、陽菜は息を止めた。 「どうしました」 宗介の手が離れる。陽菜は慌てて視線を上げたが、うまく答えられない。 「別に……」 言葉は出たのに、胸のざわつきは消えなかった。むしろ、今しがた流れ込んできた感覚が、まだ肌の内側に残っている。 宗介は一瞬だけ目を細めた。ほんのわずかだが、陽菜の顔色が変わったのを見逃さなかったらしい。 「痛みが強かったですか」 「そうじゃなくて」 「では、接触の影響か」 低く呟くような声だった。疑問を口にしただけなのに、妙に確信へ近い響きがある。 陽菜は膝の上で拳を握った。何を感じたのか、どう説明すればいいのか分からない。けれど、宗介の指先がまだ自分に触れているようで、離れてもなお感覚だけが残っている。 「……先生、今日、いつもより疲れてる?」 問いかけると、宗介はわずかに沈黙した。 「そう見えますか」 「見えるっていうか」 陽菜は言いかけて、やめた。見える、では済まない。たしかに感じてしまったのだ。彼の膝にあったはずの鈍痛まで、自分の中に重なっていた。 宗介はその反応を見て、さっきよりも慎重に距離を取った。だが、視線だけは外さない。 「次は、少し短く触れます。無理があれば言ってください」 「……わかった」 陽菜は返事をしながら、自分の中で起きたことの正体を探そうとした。痛みがうつるなんて、ありえない。そう思うのに、宗介の沈んだ気配だけは確かに残っている。混乱は深まるばかりで、膝の違和感と、胸のざわめきがいつまでも消えなかった。
共感覚クリニック
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