エラベノベル堂

共感覚クリニック

全年齢

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3章 / 全10

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廊下の窓から差し込む夕方の光は、白い壁に長く伸びていた。陽菜は診察室の前で立ち止まり、ひとつ息を吸う。午前中のあの感覚がまだ膝の奥に薄く残っていて、歩くたびに現実感が揺れる。痛みが移るなんてありえない。けれど、宗介の沈んだ気配に触れた瞬間の重さは、まだ消えなかった。 「……先生、まだ終わってないこと、ありますよね」 呼び出しの紙を握りしめたまま、陽菜は診察室の扉をノックした。中から短い返事が返る。宗介は机の向こうにいたが、顔を上げるといつも通りの静かな目を向けてきた。 「何ですか」 「質問。増やしてもいいでしょ」 「診察に必要なら」 「必要にしてやる」 宗介の眉がほんの少しだけ動いた。だが、それだけで、拒絶はしない。 「膝の痛み、今日はどうですか」 「それ、私が聞きたいんだけど」 「あなたの状態を確認しています」 「じゃあ聞く。先生、さっきより目の下、暗い」 宗介はペンを置いた。陽菜はその反応を逃さない。視線をじっと追うと、彼はわずかに目を逸らした。まるで、そこを見られたくないみたいに。 「寝不足です。業務に支障はありません」 「支障があるかどうかじゃなくて」 「陽菜さん」 名前を呼ばれて、少しだけ空気が締まる。 「無理に踏み込まないでください」 「踏み込んでほしくない顔してるの、そっちじゃん」 言い返すと、宗介は一拍置いてから、書類に目を落とした。その動きはいつも通り落ち着いているのに、どこか壁を作るようだった。陽菜が視線を戻すたび、彼はほんの少しだけ角度をずらす。真正面から受け止めない。受け止めきれない、そんな逃げ方に見えた。 「接触の影響については、まだ判断材料が足りません」 「じゃあ増やす」 「増やす、とは」 「先生の反応を見る。私の体も見る。どっちも必要でしょ」 宗介の目が、今度はしっかり陽菜を捉えた。冷静なのに、底だけがかすかに揺れている。 「治療は続けます。ですが、無理な確認は控えてください」 「無理じゃない。知りたいだけ」 何を、とは言わなかった。それでも宗介には伝わった気がした。陽菜は、膝の痛みが揺れた理由も、彼が抱えている孤独の理由も、どちらも知りたかった。 言葉にすれば壊れそうで、黙っていれば遠ざかる。そんな狭間で、陽菜は自分の指先を見下ろした。午前よりも、たった一瞬の視線の交差のほうが、ずっと強く身体を揺らす。 「……次は、もっとよく見てていい?」 宗介は答えない。けれど、拒まれたわけでもなかった。 診察室の沈黙の中で、陽菜は確信する。自分はもう、ただ治療を受けるだけではいられない。彼が何を隠しているのか、その奥にある痛みは何なのか。知りたいと思った瞬間、胸の奥で何かが静かに熱を持った。

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