エラベノベル堂

シェアドリーム

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10章 / 全10

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廊下に出た途端、雨上がりの湿った空気がふっと頬を撫でた。古い床板はしんと静まり返っているのに、さっきまで健人の部屋に満ちていた熱だけが、まどかの胸にまだ残っている。隣り合う部屋の扉は閉じたままなのに、もう壁の向こうを隔てている感じがしなかった。 「……変だね」 まどかが小さく言うと、健人は少し笑った。けれどその笑みは、からかうものじゃない。むしろ、長く抱えていたものをやっと下ろした人の顔だった。 「変だけど、たぶん、それでよかったんだろうな」 「何が?」 「俺たちが遠回りしたこと」 まどかは瞬きをした。夢の中で出会い、現実で名前を知り、ようやくここまで来た。その流れを思い返すと、悔しさより先に、妙な納得が込み上げてくる。 「夢が引っ張ってたんじゃなくて」 まどかは、廊下の端に落ちる薄い光を見ながら続けた。 「私たちのほうが、ずっと寂しかったのかもしれない」 健人は少し黙って、それから深くうなずいた。 「壁の向こうに誰かがいるって、知ってたのに知らないふりしてた。だから、夢で先に会ったんだろうな」 「孤独って、けっこう面倒だね」 「でも、面倒なくらいじゃないと、こんなふうに人を呼ぶのかも」 その言葉に、まどかは思わず笑った。笑い声は小さいのに、廊下の静けさの中でやけにやわらかく響く。夢で触れた温度も、廊下ですれ違った気配も、全部が一本の線でつながっていく気がした。偶然では片づけられないものが、確かにここにある。 健人が、少しだけ姿勢を正した。 「まどか」 名前を呼ばれるだけで、胸の奥が静かにほどける。 「うん」 「これからは、夢でも現実でも、ちゃんとそう呼ぶ」 まどかは息をのんで、それから柔らかく目を細めた。 「健人もね」 「ああ」 二人は廊下で向かい合ったまま、しばらく何も言わなかった。雨上がりの空気が少しずつ乾いていく。壁一枚の隣人だった時間は、もう戻らない。けれどその代わりに、名前で呼び合える朝が来るのだと、二人ともわかっていた。 まどかは扉の先、自分の部屋へ続く薄暗い廊下を見た。健人も同じ方向へ視線を向ける。まだ夜ではない。だから、今夜から始まる夢のことを急いで確かめる必要もない。ただ、次に眠りにつくとき、もう隣人ではなくなるのだと思えた。 「じゃあ、また」 健人の声は、夕方の静けさにすっと溶けた。 まどかはうなずく。 「また、健人」 その呼び方が、雨上がりの廊下にやさしく落ちた。

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築五十年の古いアパートの二室に住む学生・まどかと健人は、互いの顔を知らない隣人同士だった。ある夜から二人は同じ夢空間に現れるようになる。夢の中でだけ言葉が弾み、距離が縮まり、互いの存在を確かめ合う感覚まで共有される。朝起きれば壁一枚で、顔も名前も知らない他人。目覚めるたびに『昨夜また会えた』という記憶だけが残り、次第に夢の相手が隣人かもしれないと疑い始めるが、朝の廊下ですれ違っても何の反応もない。ある雨の日、鍵の取り違いでまどかは健人の部屋に入り、寝ている彼の横で夢と同じ感覚に気づく——壁がない今、夢以上の温度が身体を走る。『……もしかして、昨夜の人?』。二つの世界が交差する瞬間、夢と現実の境界線が溶けていき、互いの気持ちを確かめ合う。

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