エラベノベル堂

記憶を染める和紙

全年齢

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2章 / 全10

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蔵から作業場へ運んだばかりの和紙は、机の上で薄い月明かりみたいに静かに横たわっていた。結は息を止め、陸と顔を見合わせる。 「ほんとに、これがただの見本紙なの?」 「違う気がするから、確かめるんだろ」 陸が硯に水を落とし、墨をすった。黒い香りが立つ。結は紙の端を押さえたまま、ためらいがちに筆先を近づけた。 「少しだけ、でいいよね」 「俺が見る。変なことが起きても、慌てるなよ」 その言い方にむっとしかけた瞬間、結は紙面に落ちた墨の広がり方がおかしいことに気づいた。にじむはずの線が、まるで何かを避けるみたいに縁を残し、そこから細い文字が浮かび上がってくる。 「……え」 結の声が裏返った。陸も身を乗り出す。 紙の上に、かすれた筆致で文の断片が現れていた。会えぬ夜、忘れぬ、ただそれだけで胸が……。そこまで読めたところで、文字はふっと滲み、波紋のように消えた。 「今の、見えた?」 「見えた。いや、見えたっていうか……」 陸は言葉を失ったまま、墨の跡を指先でなぞりかけた。その瞬間、結の手も同じ紙に触れていたせいか、胸の奥で眩しいものが弾けた。 麦茶のぬるい匂い。縁側。夏の午後。小さな自分が、ひとりで転んで膝を押さえている。そこへ、少し大きい陸が駆けてきて、何も言わずに虫取り網を差し出す。 「……っ、なに、これ」 結は思わず手を引っ込めた。陸も同じように肩を震わせている。 「今、昔の……」 「見えた。たぶん、あたしたちの」 二人の声が重なり、しんとした作業場に落ちた。結は自分の胸に手を当てる。鼓動が早い。墨を落とした紙だけじゃない。触れた瞬間に流れ込んできた記憶まで、あまりに生々しかった。 「この店の紙、普通じゃない」 陸が低く言った。 結は黙ってうなずく。祖母がひとりで守ってきたものは、ただ古いだけの品ではなかった。誰かの言えなかった思いを、時間の向こうからすくい上げる。そんな役目を、最初から背負っていたみたいに。 もう一度だけ紙に目を落とすと、消えかけた文字の端が、かすかに光って見えた。結は息を呑んだまま、そっと陸の袖をつかむ。 「ねえ、これ……まだ、何か隠してる」 陸は振り返り、結の手元を見て、ゆっくりと頷いた。

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