翌朝の空気は、昨夜の騒がしさをそのまま冷ましたみたいに澄んでいた。結は店先の戸を開け、通りを行き交う人へ頭を下げるたび、まだ身体に残る緊張を少しずつほどいていく。 「おはようございます。祖母が、いつもお世話になっていました」 「戻ってきはったんやね。ええ店やったの、また見られるとええなあ」 町内の顔は、思っていたよりずっと近かった。挨拶を返されるたび、結の胸の奥に、ここで生きることの重みが静かに降りてくる。店先へ戻ると、陸が蔵の戸を開けたまま、埃をかぶった帳簿を一冊ずつ机に並べていた。 「こっちはかなり古い。見た目以上に重いぞ」 「ただの紙束に見えないのが、もう怖いんだけど」 「怖がってる暇があったら、手伝ってくれ」 結が苦笑して帳簿の端を持ち上げる。すると、表紙の裏からするりと薄い紙片が滑り落ちた。黄ばんでいるのに、妙に張りがある。結が拾い上げるより早く、陸が眉を寄せる。 「……挟まってた」 「何これ。メモ?」 紙片には、几帳面な字で短い走り書きが残されていた。日時らしき数字と、見覚えのない買い入れ先の名。だが、その端に折り込まれるように、もっと小さな文字が添えられている。 「手帳、在り。奥の帳面、黒箱へ」 結と陸は顔を見合わせた。 「祖母の、手帳?」 「たぶん、これだ」 陸は帳簿をめくり、似た筆跡の痕跡を探すように指で紙の縁をたどった。 「わざわざ隠すなら、普通の記録じゃない」 「じゃあ、探すしかないじゃん」 結は紙片を胸元に押し当てた。古い店の中で、誰かが残した小さな合図が、今の二人を確かに呼んでいる。 二人で蔵の棚を見直し、黒い箱のありそうな場所を当たるうち、朝の気配は少しずつ高くなっていった。結は最初、何をどう訊けばいいのかわからなかったのに、気づけば陸と自然に目を合わせている。陸もまた、無言で次の棚へ手を伸ばす前に、必ず結の反応を待つようになっていた。 「ねえ、陸」 「ん?」 「今日、あたしが町内回るの、正解だったかも」 陸は一瞬だけ目を細めた。 「やっと自分で言えたな」 「なにそれ」 「この店のこと、ただ背負うんじゃなくて、動かすってことだ」 結はむっとしながらも、否定できなかった。紙片を握る手に、妙な熱が残っている。祖母の手帳。黒箱。まだ見ぬ記録。けれど今は、その入口に二人で立っている。 「じゃあ、次はあれだね」 結がそう言うと、陸は短くうなずき、棚の奥へ視線を向けた。仕事としての共同作業は、もう始まっていた。
記憶を染める和紙
全年齢小説ID: cmpujapt41e3m01l7v1754jyh
