夕暮れの展示会場には、搬入用の箱がまだ半分ほど残っていた。壁際に積まれた和紙の束を見た瞬間、結は胸の奥がひやりとするのを感じる。ここから先は、展示の形を整えれば終わり、そんな気でいたのに、入口の方で慌ただしい声が上がった。 「すみません、さっきの注文、白紙になりました」 搬入を手伝っていた業者の言葉に、結は固まった。外注で回す予定だった大口の注文が消えた、と一拍遅れて意味が届く。店の再出発に合わせた、いちばん大きな支えが抜け落ちたのだ。 「え……そんな」 「本当に、今さら?」 結の声はかすれていた。箱を持つ手から力が抜け、紙の束が揺れる。これで、どうやって間に合わせるの。展示も、店の今後も、全部が崩れてしまう気がした。 「結」 陸の声が近い。けれど、結は首を振った。 「もう無理かも。ここまで来て、まただよ。私たち、やっぱり運がないんじゃないの」 自分で言って、余計に苦しくなる。諦める方が楽だと、心のどこかが囁いた。だが陸は、そこで黙らなかった。 「諦めるな」 短い一言だった。結が顔を上げるより先に、陸は会場のテーブルに置かれた見本紙をまとめ始める。 「外注が駄目なら、見せ方を変える」 「今から?」 「今だからだろ」 陸は紙束を一枚ずつ揃え、展示台の配置を指で示した。 「この店の強みは、完成品だけじゃない。記憶が浮かぶ、その場の反応だ。なら、商品説明を並べるより、見て触れて、変化が起きる流れに変える」 結は目をみ開いた。そんな即席の案、普通なら無茶だ。でも陸の目は、もう迷っていない。 「試すの?」 「試す。失敗したら、また直す」 「でも、間に合うか……」 「間に合わせるんじゃない。間に合う形にする」 結は唇を噛んだ。怖い。けれど、陸の言葉に引きずられるみたいに、背筋が少しずつ伸びる。 「……あたし、一回、本当に終わったと思った」 「俺もだ」 「なのに、そんな顔で言わないでよ」 「顔に出てるか」 「ちょっとだけ」 そのやり取りの途中で、結は気づく。陸もまた、怖いのだ。なのに先に手を動かして、怖さごと前へ出している。 「結」 「なに」 「一緒にやる。だから、逃げるな」 結は息を呑み、それから小さく笑ってしまった。追い詰められているのに、不思議と一人ではなかった。 「……わかった。じゃあ、方針変える」 そう言うと、陸の表情がほんの少しだけ緩む。 二人で机を挟み、紙の並べ方を変え、説明の順番を入れ替えた。結は見本紙を持ち上げながら、陸が提案する流れに合わせて頷く。失敗したくないという気持ちは消えなかった。それでも、失敗を恐れたまま止まるより、変えると決めた今の方がずっとましだった。 「これでいく」 結が言うと、陸は短くうなずいた。 「遅いくらいだ」 「うるさい」 言い返しながらも、結の胸には確かな熱が残っていた。白紙になったはずの予定は、まだ完全には終わっていない。むしろ、ここからが本当の始まりなのかもしれない。二人は並んで新しい展示案を見下ろし、次の一枚を置くための手を止めなかった。
記憶を染める和紙
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