エラベノベル堂

記憶を返す薬屋

全年齢

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9章 / 全10

森の奥で見えたのは、苔に沈んだ朽ち木の影ではなかった。怜也が急に足を止め、結衣奈もその視線の先を追う。水車小屋の床下へ通じる、小さな板の継ぎ目が、月の薄い残光を吸って浮かんでいた。 「ここだ」 怜也の声は、いつになく低かった。結衣奈は膝をつき、祖母の薬帳の印と見比べる。指先で軽く叩くと、空洞の響きが返ってくる。 「間違いない……地下室」 板を外すと、冷えた空気がすぐに頬を撫でた。階段は狭く、足を滑らせればすぐに闇へ落ちそうだった。それでも結衣奈は薬帳を抱え直し、先に降りる。 「灯り、見えますか」 「いや。だが、棚の形なら分かる」 怜也が後ろから短く答える。地下の奥は湿っていて、木の匂いより古い紙の匂いが濃かった。結衣奈の胸が早鐘を打つ。暗がりの中で、祖母の筆跡が示した場所が、確かに彼女を待っていた。 「ここ……」 壁際に寄せられた古い箱の裏で、結衣奈は指先に細い段差を見つける。押すと、かすかな軋みとともに棚板がずれた。そこにあったのは、巻かれた密書と、数枚の薄い紙束だった。 「あった」 怜也が息を呑む。 結衣奈は密書を取り落とさないように抱き寄せ、もう一方の紙を広げた。祖母の字だ。震えの少ない、見慣れたはずの字が、今夜だけはやけに胸に刺さる。 町を守るため、私は沈黙した。知られれば、救いは別の形で壊れる。焼き討ちの日、誰かが悪にならねば町は終わる。だから私は、真実を土に埋め、時が来るまで待った。 読み進めるほど、喉の奥が熱くなる。そこには祖母が長年、誰にも言えずに抱えた選択が、短い文の隙間にまで滲んでいた。 「祖母さんは……全部、知ってたのか」 怜也がつぶやく。 「ええ」 結衣奈の声は掠れていた。 「知っていて、黙っていた。私がここへ辿り着くまで、ずっと」 その時、地下の入口で激しく木が打ち鳴らされた。上から荒い足音が落ちてくる。 「見つけたぞ」 追手の声に、結衣奈の肩が跳ねる。次いで、板戸がもう一度、強い力で揺れた。土ぼこりが階段へこぼれ落ちる。 怜也がすぐに結衣奈の前へ出る。 「急げ、上が塞がれる」 「でも、これを……」 結衣奈は密書と手記を胸に抱えたまま、震える息を飲み込んだ。怖い。けれど、ここで隠したままでは祖母の沈黙も、怜也の十年も終わらない。 「持って帰ります」 はっきり言うと、少しだけ身体の芯が定まった。 「この真実は、町に戻す。祖母が守ったものなら、私が届ける」 怜也は一瞬だけ目を見開き、それから小さく頷いた。 板戸がさらに大きく軋む。闇の上で、何かがこじ開けられようとしている。 結衣奈は手記を胸元に押し当て、地上へ続く階段を見上げた。今はまだ、戻ることしかできない。だがその一歩の先に、祖母が閉じ込めた真実が町へ届く。

9章 / 全10

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