書庫の空気は、昼の厨房とはまるで違っていた。火の匂いの代わりに、乾いた紙と革表紙の匂いが幾重にも重なっている。高い棚が並ぶ薄暗い間を、私は抱えた包みを片手に進んだ。あの市場で拾った束を広げるには、ここがいちばん静かだと思ったからだ。 卓に並べた古い地図は、角が擦れ、色も褪せていた。それでも線は読める。城を中心に、地脈のような細い道が外へ伸び、途中でいくつも結び目を作っている。私は指でなぞりながら、記録帳に残る採れ高の偏りと見比べた。育つ土地と育たない土地が、まるで同じ流れの上で呼吸をしているみたいだった。 「地下に、あるな」 声に出した瞬間、背後の空気がわずかに動いた。振り返ると、魔王が書架の影に立っていた。いつからそこにいたのか気づかなかった。だが、その表情には驚きよりも、どこか諦めに似た静けさがあった。 「何がだ」 私は地図を持ち上げ、地脈の結び目を示した。 「世界の力を巡らせる仕組みです。城の下にある。たぶん、食材の偏りも、城下の荒れ方も、そこに関係している」 魔王はしばらく黙っていた。窓の向こうで、暮れかけた光が細く伸び、書架の縁を鈍く照らしている。やがて彼は低く息を吐いた。 「知っていた」 その一言は、思っていたよりも重かった。私は手を止める。知らなかったことを責められたわけではないのに、胸の奥がひどくざらついた。 「気づいていて、何もしなかったんですか」 問いは鋭くなりすぎたかもしれない。けれど魔王は目を逸らさなかった。 「沈黙のままなら、火種にならぬと思った。対立は、広がる」 その答えに、私はすぐ言い返せなかった。食卓の温もりでどうにかなると思っていた部分が、足元から少し崩れる。料理は空腹を満たすだけではない。だが、満たすだけで終わることもある。世界の偏りがあるなら、椀の数だけでは追いつかない。 私は地図に視線を落とした。線のひとつひとつが、ただの道筋ではなく、失われかけた流れに見えてくる。これまで作ってきたのは、場をつなぐ温かい皿だった。だが必要なのは、それだけではない。 「料理で場をつなぐだけじゃ足りない」 言葉にすると、妙に静かだった。魔王は返さない。ただ、次の一呼吸を待っている。 「世界の均衡そのものを、整えないと」 その瞬間、書庫の奥で紙が一枚、かすかに鳴った。風ではない。けれど、どこかで封じられた流れが、私の言葉に薄く応えたような気がした。私は地図を胸元へ引き寄せる。 夕暮れは、もう書庫の隅まで届いている。魔王はなおも黙ったまま、私の手元の地図を見つめていた。
魔王城厨房、和解は湯気の向こう
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