エラベノベル堂

夕映えの図書室、手をつなぐまで

全年齢

小説ID: cmnehanr2000001nalsutksi4

8章 / 全10

放課後の教室は、夏の熱をまだ少しだけ抱えていた。窓の外では部活の掛け声が遠のき、夕方の光が机の角を長く伸ばしている。凛奈は鞄を肩に掛けたまま、愛梨の横顔を見ていた。川辺で確かめ合った気持ちは、帰り道でも消えなかった。むしろ、ふたりの間にある静かな熱を、どう扱えばいいのか分からなくしていた。 「あの、ちょっと待って」 教室の後ろから声がして、二人は同時に振り向いた。クラスメイトの一人が、忘れ物を取りに戻ってきたらしい。机の間を通るその視線が、ふたりの近すぎる距離でふと止まる。凛奈は咄嗟に息を止めた。愛梨の袖に触れかけていた指先が、ひどく目立つ気がした。 クラスメイトは何かを言いかけたが、結局、探していたノートを手に取ると、意味ありげに小さく笑っただけだった。教室の空気が、わずかに変わる。何でもないふうを装っても、見られた事実は消えない。 その人が出ていったあと、凛奈は椅子の背に力なく手を置いた。 「……今の」 声にしなくても、伝わってしまった気がした。噂になるかもしれない。誰かが面白がるかもしれない。そんな想像が一気に膨らんで、胸の奥を冷たくする。愛梨の隣にいたい気持ちと、迷惑をかけたくない気持ちが、同じ強さでぶつかり合った。 「少し、距離を置いたほうがいいかも」 絞り出した言葉は、自分でも驚くほど弱かった。けれど凛奈は本気だった。こうして並んでいるだけで、大事なものが壊れてしまうのではないかと怖くなったのだ。 愛梨はすぐに否定しなかった。けれど、目を伏せることもなく、まっすぐ凛奈を見た。 「逃げるの、私は嫌だよ」 その一言が、静かな教室に落ちる。 「見られたなら、見られたままでいい。変に隠すほうが、きっと苦しくなる」 凛奈は言葉を失った。強い口調ではないのに、愛梨の声には迷いがなかった。怖くないわけじゃないはずなのに、それでも向き合うほうを選んでいる。そのまっすぐさに、胸の奥がきゅっと痛む。 「でも、もし変に広まったら」 「広まったとしても、私たちの気持ちまで誰かに決められないよ」 愛梨は机の端に指を置いたまま、少しだけ笑った。 「凛奈ちゃんが不安になるのは分かる。だから、ひとりで抱えないで。私もいるから」 その言葉に、凛奈は視線を落とした。守られたいと思う反面、自分の弱さを見せるのが怖かった。けれど愛梨は、逃げ道ではなく立ち向かう場所を選んでいる。なら、自分だけ背を向けるわけにはいかない。 ゆっくりと息を吸って、凛奈は椅子を引いた。 「……私も、逃げたくない」 声はまだ震えていた。それでも、言い切ると少しだけ肩が軽くなる。 愛梨の目がやわらかくなる。ふたりの間に張っていた張り詰めた糸は、切れたのではなく、別の形に結び直されていくようだった。 教室の外では、帰り支度のざわめきが増していく。けれど窓際のこの一角だけは、妙に静かだった。見つかってしまった親しさを前に、どうするかを決める時間が始まっている。凛奈はまだ少し不安なまま、それでも愛梨の視線からは逸らさなかった。ふたりが選ぶ次の一歩は、もう隠れることではない。その予感だけが、静かな危機の中で確かに息をしていた。

8章 / 全10

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