稽古が本格的に始まって三日目には、明彩堂の裏側はすっかり戦場の顔になっていた。大階段の仮組みは毎日少しずつ形を変え、床には印のテープが増え、衣裳部屋からは飾りの羽根と針山が絶えず行き来する。その中心でレオは、まるで嵐の目のように堂々としていたが、口を開くたび周囲を振り回した。 「二番のサビで階段、もう一段高くできないか。僕が振り向いたとき、もっと空を背負いたい」 「この照明だと影が弱い。頬の線が死ぬ」 無茶だとわかる注文を、彼は当然の顔で積み上げていく。志乃は 「検討します」 と答えながら走り回り、演出家に相談し、照明係に頭を下げ、今度は座員たちに変更を伝える。そのたびに段取りは崩れ、稽古場には小さなため息が落ちた。 志乃の気配りも、いつも良い方に転ぶとは限らない。群舞の一人が足を痛めれば振付を軽くし、衣裳の留め具が固ければ全部つけ替え、誰かが不安そうな顔をすれば個別に声をかける。だが、その丁寧さが行き過ぎて、かえって皆の手を止めることもあった。 「志乃さん、そこまでしなくても」 「でも本番で困るよりは」 善意で埋めた隙間が、別の隙間を生んでいく。ついには小道具の置き場まで志乃が整理し直したせいで、湊が必要な部品を見失い、舞台袖で珍しくあからさまに固まった。 「銀の留め金、ここにあったはずで」 小さくつぶやく湊に、志乃は青ざめた。 「ごめん、見やすいように箱を分けて……」 そこへレオが通りかかり、事態をひと目で察すると眉を上げた。 「見やすいのはいいけど、使う人間が見失ったら意味ないだろ」 責める口調ではあったが、言葉は妙にまっすぐだった。志乃は唇を結び、湊は首を振った。 「俺も、ちゃんと名前を書いてなかったので」 二人とも謝るものだから、かえって空気がぎこちなくなる。 その日の通し稽古で、さらに騒ぎが起きた。フィナーレ直前、階段の両脇に仕込んだスライム風の幕が、音楽に合わせてやわらかく波打つはずだったのに、片側だけ不自然に大きく膨らみ、どろりとした雲のようにせり出してきたのだ。座員たちから悲鳴まじりの笑いが漏れ、行進の列は崩れ、演出家は額を押さえた。原因は湊が密かに加えていた工夫だった。薄い膜を重ね、内部の空気をずらして送ることで、揺れをより生きものらしく見せる仕掛け。しかし見映えを追うあまり、反応が想定より敏感になっていた。 「黙って変えるなよ」 レオの声が稽古場に響く。湊は肩を縮めたが、それでも目だけは逸らさなかった。 「もっと綺麗に見せたくて」 その一言に、志乃がはっとしたように顔を上げる。結局みんな同じところを見ていたのだ。方法が食い違っていただけで、目指す舞台はひとつだった。しばらくの沈黙のあと、レオは深く息を吐き、膨らみすぎた幕を指でつついた。 「……綺麗ではある。腹立つくらいに」 座員たちの間に、こらえきれない笑いが広がる。志乃もつい吹き出し、湊は耳まで赤くした。 そこから空気が少し変わった。レオは注文を出す前に一拍置いて、実現の手間を聞くようになった。志乃は全部を抱え込まず、誰に任せるべきかを考えて動いた。湊もまた、思いついた工夫を紙に書いて先に見せるようにした。衝突は消えなかったが、ぶつかるたびに相手の輪郭が見えてくる。夜遅く、人気のない客席に向かってフィナーレの立ち位置を確認したとき、大階段の上には前よりずっと揃った熱があった。まだ危うく、まだ騒がしい。けれどその不揃いさごと、舞台は確かにひとつになり始めていた。
緞帳の向こう、翠の喝采
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