終演後の楽屋口は、祭のあとみたいな熱気に満ちていた。化粧を落とす前の座員たちが、さっきまでの混乱を身振りつきで語り合い、衣裳係は裾に貼りついた半透明の欠片をつまみ上げては笑っている。明彩堂の廊下を行き交う誰もが、疲れきっているはずなのに目だけは妙に明るかった。あの洪水のようなフィナーレは、もう失敗の報告ではなく、たった今生まれた劇場の噂になりつつあった。 志乃は手帳を胸に抱えたまま、ようやく壁にもたれて息をついた。進行表は途中からほとんど役に立たなかったのに、最後まで握っていた紙には自分の指の跡が深く残っている。そこへレオが来て、まだ落としていない舞台化粧のまま笑った。 「そういう顔もするんだな」 「どういう顔ですか」 「生き延びた人の顔」 失礼な言い方なのに、志乃は否定できずに吹き出した。ほんの数日前まで、全部を自分で整えなければ舞台は壊れると思っていた。けれど実際に壊れかけた瞬間、舞台を立て直したのは一人の手際ではなく、皆の反射だった。 少し離れた場所では、湊が大道具の先輩たちに肩を叩かれていた。普段なら恐縮して縮こまりそうなものなのに、今日は何度頭を下げても、顔の奥に消えない光があった。自分の仕掛けが騒動の種になった。それでも同時に、その仕掛けがあったからこそ、あの前代未聞の景色が生まれたのも事実だった。失敗と成功がひとつに絡まり、どちらとも言い切れないまま喝采に変わってしまった。その理不尽さが、湊には少しだけ嬉しかった。 やがて演出家が楽屋へ顔を出し、座員たちを見回して言った。 「念のため言っておく。明日からは再現を狙うな」 どっと笑いが起こる。レオが片眉を上げた。 「名場面なのに?」 「名場面だからだ。偶然を真似すると、ただの手癖になる」 その言葉に、場が静かにうなずいた。今夜の奇跡は、制御不能だったからこそ舞台の血になったのだ。 レオはふいに湊へ向き直った。 「明日、装置は直せ」 「はい」 「でも、おまえの工夫は消すな。あの揺れは必要だ」 湊は目を見開き、それからしっかりとうなずく。志乃にも視線が向く。 「志乃、おまえは全部抱えるな。今日、皆が動けたのは、おまえが普段から全員の癖を見てたからだ」 志乃は返事に詰まり、少し遅れて 「はい」 と答えた。胸の奥に、熱いものが静かに落ち着いていく。 その夜、誰もいなくなった舞台に三人で戻ると、大階段にはまだきらめきの名残があった。古い劇場は何事もなかった顔でそこに立ち、けれど確かに今夜の騒ぎを飲み込んでいる。レオは客席を見渡して、いつになく穏やかな声で言った。 「僕一人じゃ、あれは越えられなかった」 志乃が笑い、湊も小さく笑う。明彩堂に新しい伝説が増えたのだと、もう誰も疑わなかった。『スライム行進曲』は完璧な舞台としてではなく、崩れかけた瞬間に最も美しく弾けた舞台として、これから長く語り継がれていく。
緞帳の向こう、翠の喝采
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