エラベノベル堂

白衣の朝、月影は街を診る

全年齢

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6章 / 全10

綾香はベッドの上で目を閉じたまま、何度も眠りに落ちそうになっては引き戻された。部屋は静かで、時計の針だけがやけに大きく聞こえる。寝返りを打った拍子に、こめかみの奥でふっと何かがほどけた。 「……ここ、どこ」 声にした瞬間、寝室の輪郭が薄くなり、代わりに白い霧のような空間がひらいた。床も壁も曖昧なのに、向こう側には確かに人の気配がある。 「ようやく来たわね」 聞き覚えのある、けれど昼間とはまるで違う声がした。綾香が息をのむと、霧の中から女が一歩だけ現れる。目元も口調も、自分と同じなのに、立ち方だけが妙に強い。 「あなた……リノ?」 「そう呼ぶなら、それでいい」 綾香は胸元を押さえた。夢だと思えばいいのに、妙に感触が生々しい。相手を見つめ返しながら、震える声で問う。 「どうして、あなたが私の夜を動かしてるの」 リノは肩をすくめた。 「動かしてる、なんて大げさ。私は止めてるだけ。相手が油断した一瞬に、必要なものを拾ってる」 「必要なもの?」 「証拠。病院を追い詰めた内部不正の証拠よ」 綾香は言葉を失った。あの夜の記録、整理された資料、封筒、メモ。ばらばらだったものが一本の線になる。 「内部不正って……そんなの、ずっと前から?」 「ええ。見えないところでね。だから私は危険な依頼を引き受けてでも、材料を集めている」 綾香の喉が乾いた。 「危険って、何をしてるの」 「乱暴なことはしないわ。殴るより先に、相手の足場を崩す。焦らせて、言い訳を増やさせて、自滅させるの。情報戦ってそういうものよ」 あまりに冷静な言い方だった。正義を振りかざす感じではない。むしろ綿密で、静かで、息をひそめるほどに鋭い。 「じゃあ、私の昼の評判も……」 「作戦の一部。あなたは信頼されている。だからこそ、誰もあなたを疑わない。疑わなければ、隠したいものは動きやすいでしょう?」 綾香は息を呑んだ。患者に向けていた笑顔も、同僚に見せていた穏やかさも、全部が夜のための布石だったのかもしれない。 「そんなの、私が知らなくてもよかったのに」 「知らないままのほうが、守れるものもある」 リノは少しだけ目を細めた。 「でも今夜は違う。あなたが来たから、話す」 霧の奥で、何かが静かに鳴った気がした。綾香は拳を握りしめる。 「私は……怖い。でも、知らずに使われてたままなのも、もっと嫌」 「それでいい」 リノの声は意外なほどやわらかかった。 「昼のあなたは医師として人を救う。夜の私は、壊れないように土台を守る。役目が違うだけよ」 綾香はゆっくりと頷いた。まだ全部は飲み込めない。それでも、目の前の自分が嘘ではないことだけはわかる。 「私たち、本当に一人なの?」 リノは答えなかった。代わりに、薄く笑う。 「それを決めるのは、これからでしょ」 その言葉が落ちた途端、霧は少しずつ崩れはじめた。綾香は思わず手を伸ばす。 「待って、まだ――」 だが、指先が触れたのは冷たい空気だけだった。

6章 / 全10

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