会見の翌日、病院の待合は妙ににぎやかだった。診察を待つ患者たちが、風邪や血圧の話より先に昨夜の映像について語っている。再開発を進めていた会社は行政の立ち入りを受け、幹部のひとりは雲隠れしたらしい。表向きは順調だった計画の裏で、帳簿の改ざんと危険な廃棄の流れがいくつもつながっていた。港三号倉庫は、その中継点のひとつにすぎなかったのだ。 だが恒一には、まだ終わっていないとわかっていた。症状を訴えた患者の数に対して、押さえられた物の量が合わない。どこかに本命が残っている。昼休み、彼女はカルテの山を前に眉を寄せた。同じ地区の住民でも、体調を崩しているのは海風の強い一角に集中している。地下に埋める計画なら、風向きだけで偏るのはおかしい。ならば今もどこかで保管され、少しずつ漏れているのではないか。 机の隅に、いつのまにか小さなメモが置かれていた。 煙突ではなく、冷たい箱を見る。魚は氷のそばで黙る。 恒一は目を細めた。冷たい箱。港の冷蔵施設だ。再開発地区の仮設診療所へ向かう途中、彼女は車窓から古い冷凍倉庫の並ぶ一角を見て、胸の奥が強く鳴るのを感じた。患者の訴えた頭痛が強くなる時間帯は、ちょうど大型の冷却機が動き出す夕方と重なる。排気に紛れて、何かが外へ出ている。 その晩、恒一は眠る前に鏡の前へ立った。 「先に言っておくけど、今日は一人で突っ込まないで」 返事はない。けれど、少し考えてから手帳に続けた。 証拠は必要。でも患者を増やすのは論外。私も行く。 翌朝、手帳には短く一行だけ増えていた。 遅れないで。帽子は一つで足りる。 思わず吹き出したあと、恒一は黒い帽子を見つめた。ひとつで足りる。その言葉が、妙に胸へ落ちた。 夜、冷凍倉庫の裏口には、すでに人の気配があった。巡回を装う警備員、慌ただしく運ばれる無地の容器、そして遠くから様子をうかがう野次馬たちの囁き。 「やっぱり女医が二人いるんだ」 「いや、双子らしいぞ」 好き放題の噂に、恒一は物陰でこっそり肩を落とした。その直後、足が驚くほど自然に前へ出る。どこを踏めば音がしないか、どの影がいちばん薄いか、考えるより先に体が知っていた。昼の自分が夜の地図をなぞっている。 倉庫の中では、冷却機の唸りのそばに問題の容器が積まれていた。搬出記録を撮ろうとした瞬間、背後で扉が開き、懐中電灯の光が走る。見つかった。だが次の瞬間、恒一は反射的に足元の非常ベルではなく換気停止のレバーを引いていた。機械音が止み、倉庫中の作業員がどよめく。排気が止まれば誤魔化しはきかない。そこへ外で待機していた保健所と警察が一斉に踏み込んできた。 白い息の残る冷気の中で、恒一はようやく気づいた。今、考えたのは自分だ。けれど選んだ手は、きっともう一人の自分が何度も覚えてきたものだった。胸の奥で、昼と夜がぶつかるのではなく、同じ拍子で息をしている。騒然とする倉庫の隅で、彼女は小さく笑った。これならたぶん、次は迷わない。
白衣の朝、月影は街を診る
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