エラベノベル堂

白衣の朝、月影は街を診る

全年齢

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8章 / 全10

会見室のざわめきは、最初から空気を濁していた。白い長机の向こうでは、病院の広報担当が硬い笑顔を張りつけ、記者たちは一斉に資料をめくっている。綾香は照明の熱を頬に感じながら、まっすぐ前を見据えた。 「綾香先生、昨日の診療記録に不審な点があったという指摘ですが」 投げられた声は、鋭いというより、待っていたように冷たかった。 「患者さんへの説明が不十分だったのでは」 「ミスを隠していたのではないですか」 言葉が雨のように降る。綾香は息をひとつだけ整えた。胸の奥で、夜の気配が静かにほどける。 その瞬間だった。スクリーンが勝手に切り替わり、映像が映る。病院内の会議室、裏口、書類棚。さらに、時系列の合う資料が次々と並び、不正な修正箇所に赤い印が走った。 「な、何だこれは」 理事の男が顔色を変える。広報担当が慌てて操作卓へ駆け寄るが、止まらない。続いて流れたのは、誰かが都合よく書き換えた記録の複写と、隠されていたやり取りの映像だった。 会場が一斉にざわめく。 「つまり、綾香先生を責める話じゃないのか」 「むしろ隠蔽のほうが問題では」 理事の男は唇を引き結び、何か叫ぼうとしたが、その声は別の質問に飲み込まれる。記者たちの目が一斉に冷たくなった。 綾香は立ち上がらない。ただ、机の上のマイクに向かって静かに言った。 「私は、誰かを裁きたいわけではありません」 会場が少しだけ静まる。 「でも、患者さんの安全より先に守るべきものがあるなら、それは病院ではなく、都合のいい嘘です」 誰かが息を呑んだ。綾香は続ける。 「診療は、信頼があって初めて成り立ちます。隠したままでは、誰も安心して受診できない。だから私は、患者さんのために必要なことを、必要な順番で明らかにしたい」 言葉は強くないのに、会見室の空気が変わっていく。ざわめきは怒声に変わらず、確かな納得へと姿を変えた。 理事の男は椅子の背に手をつき、綾香を睨み返した。だが、もう遅い。記者たちの視線は彼に向き、照明の下で隠しきれない焦りだけが浮き上がっていた。 綾香は一度だけ目を伏せ、それから顔を上げる。 「患者さんを第一に考える。それ以外は、あとです」 その一言で、会場の空気は完全にひっくり返った。誰かが資料を奪うように読み込み、別の記者が早口で確認を重ねる。混乱は続いているのに、綾香の足元だけが不思議なほど静かだった。 画面の端に、見覚えのある整った文字が一瞬だけ映った気がする。けれど彼女は振り返らない。ただ、小さく口元を引き締めた。 「やっと、こっちの番ですね」

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