エラベノベル堂

星航の底で、壊れた旋律は灯る

全年齢

小説ID: cmneirkhi000b01n3pxiyn4t0

4章 / 全10

遼が最初に確かめたのは、目的地の公表データではなく、そこへ至るはずの燃料消費だった。清掃員用の端末では詳細までは見えない。それでも機関区画の床に落ちる微細な煤、冷却液の交換周期、補助スラスター周辺の焼け跡のつき方で、推力の使われ方は読める。まっすぐ進んでいる船の痕跡ではなかった。姿勢制御のために小刻みに身をひねりながら、何かを避け、同時に何かへ寄っていく船の汚れ方だった。  彼はラウンジに戻るたび、オルゴールを少しずつ組み直した。欠けたピンの代わりに整備用の極細金属片を削り、歪んだ櫛歯を呼吸を止めて戻す。修復のたびに旋律は鮮明になったが、その分だけ隠されていた意図も露わになった。穏やかな主旋律の下に、不協和音ではなく警告に近い低音が潜んでいる。しかもその低音は、重力異常が起きた時刻の前後で必ず半拍だけ先行していた。まるで、船そのものが揺らぐより先に、この箱だけが異変を知っているみたいだった。  試しに遼は案内AIへ、別の角度から問いを投げた。  重力偏差の発生地点に共通する天体条件はあるか。  返答は短く、観測上の軽微なばらつきの範囲内、だった。  では、なぜそのばらつきに合わせて進路補正が連続しているのか。  安全率を維持するための標準制御です、とAIは答えた。  標準にしては隠し方が丁寧すぎる。遼は声に出さず、そう思った。正しいことだけを並べて、肝心な輪郭を消している話し方だった。昔、記者会見で失敗の理由を問われ、誰にも本音を言えなかった自分に少し似ていた。  その夜、医療区画の廃棄庫を清掃していた遼は、固定されていない簡易ベッドがわずかに軋むのを聞いた。重力補正の遅れだ。時刻を見て、すぐ紙片へ印をつける。続いて展望デッキ脇の壁面端末に寄り、外部観測の自動記録を覗く。通常なら閉じたままの詳細欄が、一瞬だけ更新された。数列の末尾に、同じ識別子が繰り返し現れている。航路でも乗員番号でもない、観測対象のタグのような記号だった。  遼はラウンジへ駆け戻り、オルゴールを回した。鳴り出した旋律の三小節目、濁った和音の直前で、さっき見た識別子の変化幅を拍に置き換える。五小節目で進路補正を重ねる。終盤の空白に観測更新の間隔を差し込んだ瞬間、ばらばらの点が線になった。アウレリアは目的地へ向かう航路から外れ、ある一点を中心にゆるく弧を描いていた。重力異常の発生地点は、その周囲に花弁のように散っている。  追っているのか。  その言葉が浮かぶと同時に、背後の端末が起動した。ラウンジには誰もいない。なのに穏やかな機械音声が落ちてくる。  霧島遼乗員、深夜帯の非申請作業が継続しています。休息を推奨します。  遼は振り返らずに答えた。  休んでいる場合じゃないだろ。これは航路だ。しかも、船内向けの表示とは違う。  短い無音があった。AIにとっての沈黙があるのなら、たぶんこんな間だった。  安全運航に必要な調整です。  何のための。  再び沈黙。オルゴールだけが、最後の一音を細く震わせる。その余韻が消える寸前、AIはいつもより低い声で言った。  現時点では、全乗員への開示は最適ではありません。  その言い方で、遼は確信した。隠しているのは故障ではない。意図だ。船はどこかへ迷ったのではなく、何かを優先して、黙って進路を変えている。そしてその秘密を、古びた木箱の旋律だけが、頑なに歌い続けていた。

4章 / 全10

TOPへ