エラベノベル堂

灰にひそむ香譜、宵の記憶を継ぐ

全年齢

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9章 / 全10

大寄合ののち、透真の離れには思いのほか多くの若い香術師が訪れるようになった。名を取り戻したからではない。名だけでは足りぬと、皆が薄々知っていたからだ。透真は炉の前でまず香木の名を言わせず、障子の隙間から入る風を見せ、灰の締まりを触らせ、人がひとつ咳をするまでの間を数えさせた。香りを語る前に、場を読むこと。宗玄の教えを、今度は自分の言葉で置き直してゆくたび、胸のどこかにあった固いものが少しずつほどけていった。 玲甫はたびたび顔を出し、相変わらず皮肉を添えながらも手を貸した。庄兵衛は会所の改めに伴う荷の記録を持ち込み、玄路は古い作法のうち失われたものを伝えた。香術会所は表向き穏やかに整え直され、値と評判を一派で握る仕組みは崩された。清胤の名は公には深く貶められなかったが、以前のような影響は失ったという。透真はその知らせを聞いても、勝敗の気分にはなれなかった。ただ、あの男が最後に見せた静かな目だけが、時折思い出された。 ある夕暮れ、稽古を終えて皆が帰ったあと、透真はひとりで宗玄の冊子を開いていた。何度見返したかわからぬ最後の頁を、灯のそばへ寄せる。嗅ぐな、見よ。失うは門にすぎず。その薄墨のさらに脇に、これまで紙のしみと思っていた細い擦れがあるのに気づいた。爪の先でそっとなぞると、そこだけ紙が二枚に分かれた。 隠し紙だった。 中から出てきたのは、ごく短い文と、見覚えのある癖のある筆跡。 透真へ。清胤を憎むな。あれは私の弟子であった。 息が止まった。 清胤は旧友ではなかった。宗玄がかつて密かに育て、やがて袂を分かったもう一人の継ぎ手だったのだ。続く文には、若い清胤が誰より人の心の動きに敏く、場を支配する才に長けていたこと、その才を危ういと知りつつ、宗玄自身が磨いてしまったことが記されていた。名声に人が従う仕組みも、評判が技を呑み込む怖さも、宗玄は弟子を通じて早くから見ていたのだ。 そして最後に一行だけ、震えのある字で添えられていた。 お前の嗅覚を奪った香は、私が作った。 透真はしばらく動けなかった。灯火が揺れ、冊子の影が畳に細く伸びる。清胤の一派が持ち込んだ焚き方が引き金だったのは違いない。だが、その場に出た香そのものは、宗玄が仕立てたものだった。危険な域に届くとは思わず、清胤の企てを測るため、あえて試した。見誤ったのだ。宗玄はその過ちごと、真実を隠し、透真に別の門を残そうとした。 悲しみとも怒りともつかぬものが胸を満たした。だが不思議と、師を恨む気持ちだけは湧かなかった。完全な人ではなかったのだと、ようやく知ったからかもしれない。道を守ろうとした人間が、道を試すあまり、最も近い弟子を傷つけた。その罪まで含めて、宗玄は香譜の中に沈めていた。 透真は冊子を閉じ、長く息を吐いた。外では若い弟子たちの笑い声が遠く聞こえる。香りはやはりわからない。それでも今、どこから風が入り、どこへ抜けるかははっきり見えた。 師の遺志を継ぐとは、師を美しく信じ続けることではない。歪みも誤りも引き受け、その先でなお人を結ぶ技へ戻すことだ。透真は火鉢の灰を静かにならした。白い面に、一本のまっすぐな筋が引かれる。失った門の先にあったのは、赦しではなく、選び直すための道だった。

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