草介老人は澪を灯台の詰所へ招き入れた。古い木の机には潮で角の丸くなった台帳が積まれ、窓の外では白い波頭がきらきらと砕けている。老人は手紙を受け取ると、しばらく黙って眺め、やがて戸棚のいちばん下から鍵付きの箱を取り出した。中には黄ばんだ封筒が何通も収められていた。どれも海に洗われたはずなのに、ひどく整った姿のままだった。 澪は息をのんだ。毎年一通、という言い伝えは本当だったのだ。しかも古いものほど宛名も差出人も曖昧なのに、十数年おきにだけ、はっきりした筆跡のものが混じっている。草介老人は台帳をめくり、静かな声で言った。町で大きな節目がある年ほど、手紙はよく来る。港が広がった年、造船所が閉じた年、堤防が造り替えられた年。誰かが未来を恐れたのか、惜しんだのか、それはわからん。ただ、何も起きなかった年より、何かを選んだ年に必ず現れている。 その日の帰り道、澪は幼なじみの真尋を呼び出した。真尋は漁協の手伝い帰りらしく、肩に夕陽の色を乗せたまま堤防に腰を下ろした。事情を聞いても最初は笑い飛ばそうとしたが、澪が古い台帳の写しを見せると眉を寄せた。偶然にしてはできすぎてるな、と真尋は言い、港の再開発の話を持ち出した。観光客を呼ぶために埠頭を広げ、新しい商業施設を建てる計画が進んでいること、そのために古い灯台は役目を終えた建物として閉鎖候補に入っていること。町では便利になると喜ぶ声もあれば、岬の景色が変わると嫌がる人もいる。最近、父親たちもその話でよく揉めているらしい。 澪は胸の奥に、手紙の文が沈んでいくのを感じた。灯台で起きる出来事。それは落雷や火事のようなわかりやすい災いではなく、もっとゆっくり形を変えるものなのかもしれない。 翌日から二人は町の資料館や役場の古い広報誌をあたり始めた。灯台の写真には、祭りの日の集合写真や、漁から戻る船を待つ家族の影が何度も写り込んでいた。岬はただ海を照らすだけの場所ではなく、人が誰かを見送り、帰りを待ち、季節の境目を確かめる場所でもあった。資料館の隅で、澪は十年前の会議録に目を留める。老朽化した灯台を観測施設として残す案は、予算不足で見送られている。その横に挟まっていた新聞の切り抜きには、再開発準備区域の図面と、小さく灯台閉鎖検討の文字があった。 草介老人はそれを見て、低くうなった。わしがここに来たのも、その頃だ。閉じる話は一度消えたが、今また戻ってきたんだろう。老人は窓の向こうの岬を見た。あの灯りは、船のためだけにあるようでいて、人の記憶をつなぐ役もしている。消えれば不便以上のものが失われる。 けれど真尋は腕を組んだまま、すぐにはうなずかなかった。残すだけじゃ町はもたない、と彼は言った。若い人は減るし、働く場所も少ない。新しい計画が悪いとも言い切れない。澪は反論できず、黙り込む。手紙は町の大切なものが失われると告げた。だが大切なものが何かは、まだどこにも書かれていなかった。ただひとつ確かなのは、今年の夏、灯台と港をめぐる選択が、町の行く先に深く結びついているということだった。 潮騒は変わらず聞こえるのに、町だけがゆっくり息をひそめている。澪は未来から届いた短い文字を思い出しながら、次に誰の話を聞くべきかを考えていた。
潮岬の灯へ、十年越しの便り
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