澪が次に向かったのは、商店街の外れにある写真館だった。今は看板だけが残り、店番をするのは先代の娘である志乃だった。三十を少し過ぎた志乃は、町を出ていた時期もあるのに、不思議と古い出来事をよく知っていた。倉庫の奥からアルバム箱をいくつも引っ張り出し、埃を払って机に並べる。その一冊一冊に、灯台が当たり前のように写っていた。入学式の帰り、成人式の晴れ着、台風の翌日の空、漁船の進水式。主役の背後に、いつも岬の白があった。 町の人ってね、と志乃は写真をめくりながら言った。何かを残したい時、自分ではなく景色ごと写したがるの。たぶん、自分だけじゃ記憶は長持ちしないって知ってるから。澪はその言葉を胸の中で反芻した。失われるのは建物ではなく、景色に結びついてきた記憶なのかもしれない。 その夜、真尋は漁協の集まりで聞いた話を持ってきた。再開発の説明会が来週開かれるらしい。新しい防波設備と商業棟の建設、観光船の発着場、そのための導線整理。図面の上では合理的だが、岬へ続く旧道は閉鎖候補に入っていた。灯台が残ったとしても、近づけなくなれば同じだろう、と真尋は苦い顔で言った。 草介老人はそれを聞いて、台帳を閉じた。昔、港が広がった年にも似たことがあったそうだ。便利になる道ができて、皆そちらを使うようになったら、坂の途中の店がひとつ、またひとつと閉じた。誰も壊そうとはしなかったのに、気づけばなくなっていた。老人の声は静かだったが、澪にはその言葉こそ手紙の警告に近い気がした。見えない喪失。何かが派手に失われるのではなく、選ばれなくなることで、輪郭が薄れていく。 翌日、澪はひとりで灯台のらせん階段を上った。小窓から差す光が回りながら足もとを追いかけ、頂上に着くころには息が熱を帯びていた。見晴らし台に出ると、町は手のひらにのるほど小さく見えた。新しい埠頭の予定地、古い商店街、学校、漁港、その先の住宅地。海風に目を細めた澪は、ここからなら町の全部がひと続きに見えることに、今さら気づいた。港も家々も、祭りの広場も、帰りの遅い船を待つ岸壁も、灯台の光の届くひとつの景色だった。 階下へ戻ると、草介老人が例の箱を開いて待っていた。古い手紙の中に、封の破れたものが一通ある。読むなと言われておったが、もう潮時かもしれん。差し出された便箋には、年号も宛名もなかった。ただ末尾に、かすれて消えかけた一文だけが残っていた。 失うのは音も形もあるものとは限らない。 澪はその文字を見つめ、胸の奥で何かが静かに噛み合うのを感じた。手紙は事故を止めろと言っているのではない。この町で、人が同じ景色を見上げていた時間、その重なりがほどけてしまうのを止めろと言っているのだ。だが、再開発をやめればいいという単純な話でもない。真尋の言う通り、町が前へ進むための変化も必要なのだろう。 夕暮れ、岬の下で波が砕ける音を聞きながら、澪は初めて自分の役目を考えた。配達とは、紙を運ぶだけではないのかもしれない。言葉を、思いを、届くべき相手へ渡すこと。未来の自分が託したのは、答えではなく、その順番なのではないかと。誰の声を、誰へ届けるべきなのか。潮風の中で、灯台の白壁だけがまだ昼の光を抱え、かすかに明るく見えた。
潮岬の灯へ、十年越しの便り
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