五月に入ると、科学実験クラブは放課後のたびに理科準備室へ集まるようになった。最初に決めたのは、手帳の記述をそのまま信じないことだった。気温、湿度、時刻、使った器具、結果。澪が表を作り、由良が条件を整理し、奏太が装置を組み立てる。篠崎は危険がないかを確認しながら、答えを教えすぎない距離で見守った。 最初の現象は、光だった。手帳には結晶を水で満たした皿の中央に置き、斜めから光を入れるとある。理科室のランプでは何も起きなかったが、奏太が古いスライド投影機のレンズを流用して光を細く絞ると、皿の底に淡い輪が浮かんだ。ただの反射にしては遅れて広がり、青白い糸のような筋が、規則正しく何本も走る。 「きれい……」 由良が息をひそめると、輪はその声に応えるようにわずかに震えた。澪はすぐに時刻を書き込み、室温と照度を測った。篠崎だけが、懐かしいものを見る目でその光を見ていた。 次に挑んだのは風だった。手帳には金属の輪と、一定間隔の音、とある。奏太は廃材のアルミ板と小さなモーターで、笛に似た振動装置をこしらえた。最初は耳障りなだけだったが、澪が周波数の記録から調整を重ねると、机の上の白い紙片がふっと持ち上がった。窓は閉まっている。扇風機も止めてある。それでも紙片は輪の中心へ吸い寄せられるように集まり、見えない渦の形を描いた。 「空気の流れができたんだよね」 自分に言い聞かせるように奏太が言う。だが由良は、ただの流れ以上の何かを感じていた。輪の上に手をかざすと、風というより、指先を選ぶような冷たさがあったのだ。 水の実験はさらに奇妙だった。黒いトレーに浅く水を張り、結晶を縁に置いて静かに音を与える。すると水面に同心円ではない模様が浮かぶ。花にも、地図にも見える複雑な線。澪が角度を変えて撮影し、由良が手帳の余白の記号と見比べているうち、その模様が校章に似ていることに気づいた。 「これ、偶然かな」 誰もすぐには答えなかった。準備室の空気が少しだけ張りつめる。篠崎は水面を見下ろし、静かに言った。 「昔の記録を残した人は、学校そのものを装置に使っていたのかもしれません。建物の向き、井戸の位置、裏山から吹く風まで含めて」 その言い方は、推測にしては具体的すぎた。由良は思わず先生の横顔を見る。穏やかな表情はいつも通りなのに、机に置かれた左手だけがわずかに強ばっている。 その日、片付けのあとで由良は一人、手帳を閉じようとして紙片が挟まっているのに気づいた。後から差し込まれたらしい新しいメモだった。黄ばんだ頁に似合わない、比較的新しいインクで短く書かれている。 再現は可能。だが観測者の記憶に影響あり。深入りは避けること。 背後で足音がして、由良は振り返った。篠崎が立っていた。取り上げるでもなく、隠すでもなく、ただ少し困ったように笑う。 「見つけてしまいましたか」 夕暮れの窓から差す光が、机の上の結晶を薄く青く染める。まるで眠っていたものが、こちらの声を待っているようだった。由良は胸の奥が高鳴るのを感じながら、問いを飲み込めなかった。 「先生は、これが何なのか、最初から知っていたんですか」 篠崎はすぐには答えず、準備室の古い棚や、擦り切れた床、手帳の表紙を順に見た。その目には、教室を見ているというより、遠い時間をたどっている気配があった。 「知っていることもあります。けれど、知っているままで終わらせたくないんです」 その声は静かだったが、初めて本音の重さを帯びていた。クラブの実験はただの遊びではなくなりつつある。由良にはそれがわかった。そして同時に、この先生自身が、手帳の中の未解明という言葉の続きを抱えたままここへ来たのだとも。
理科準備室に、失われた青の余燼
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