エラベノベル堂

理科準備室に、失われた青の余燼

全年齢

小説ID: cmneiryh5000i01n35nyx2hrt

6章 / 全10

その夜から、町は目に見えない潮の満ち引きに巻き込まれたようになった。商店街の古い時計が閉店後にだけ鳴り、川沿いの遊歩道では、誰もいないのに風鈴の音が続いた。学校でも、使われていない放送室から微かな合唱が聞こえたという噂が広がった。どれも大きな騒ぎになるほどではない。けれど、昔を知る大人ほど、顔色を変えた。思い出したくない記憶まで、扉を叩かれているようだったからだ。 科学実験クラブの四人は、理科準備室に集まった。机の上には手帳、金属板、結晶、そして篠崎の祖父の便箋が並んでいる。澪が町の地図に印をつけながら言った。 「現象の起点、学校から広がってます。水路と古い道に沿ってる」 「町全体が回路みたいになってるのか」 奏太の声は乾いていた。由良は頷きかけて、ふと篠崎を見る。彼は窓際で結晶を指先に乗せ、まるで熱を測るように目を閉じていた。 「先生」 呼ぶと、篠崎は静かに振り向いた。その瞳には、もう隠しきれない青い光が薄く宿っていた。理科室の蛍光灯とは違う、結晶の奥にある色だった。 「僕の家系は、わずかに残りを扱えます」 ついに告げられた言葉に、由良は驚きよりも納得が先に来た。あまりにも多くの瞬間が、その答えを指していたからだ。 「最後の魔法使い、ってやつですか」 奏太が半分だけ笑うと、篠崎は首を横に振った。 「使い手というより、ほどく側です。結ばれた記憶を、暴れない形に戻すだけの」 由良の胸がざわつく。ほどく。それはつまり、今ここに現れているものを消すことにも近い。 「でも、全部なくしたら、残ってた思いまで消えませんか」 篠崎は少しだけ苦しそうに目を伏せた。 「だから迷っていたんです。昔のまま閉じるのが正しいのか、新しい容れ物を作るべきか」 沈黙の中で、澪が手帳の最後の余白を見つけた。鉛筆でかすれた短い文だった。 継承は再現にあらず。理解者を要す。 由良はその一文を読み、急に息が通った気がした。復活か、消失か、その二つしかないと思い込んでいた。けれど本当は、別のやり方がある。現象を信仰でも懐古でもなく、学びとして受け止める形だ。 「先生、魔法として戻すんじゃなくて、観測し続ければいいんです」 三人の視線が集まる。由良は言葉を選ぶより先に、思いついた熱のまま続けた。 「名前は何でもいい。記憶に触れる現象なら、その仕組みを調べて、扱い方を考えて、危なくない方法で残す。消すか復活させるかじゃなくて、未来の人が理解できる形に変えるんです」 奏太がはっとしたように金属板を見る。 「装置を閉じるんじゃなく、出力を落として安定化させるのか」 澪もすぐにノートを開いた。 「記録を共有すれば、個人の記憶への偏りも薄まる」 篠崎はしばらく何も言わなかった。やがて、張りつめていた顔からゆっくり力が抜ける。 「僕一人では、その発想は出ませんでした」 その瞬間、窓の外で鳴っていた見えない足音が、ふっと遠のいた。結晶の青も、刺すような濃さから、呼吸するような柔らかさへ変わっていく。消えたのではない。暴れていた思いが、聞き取れる声の大きさに戻ったのだ。 由良は温室で見た影を思い出した。あれは過去に縛るための手ではなく、受け渡せなかったものを差し出す手だったのかもしれない。昔話の魔法は、蘇るのではなく、かたちを変えて次へ行こうとしている。そう思ったとき、理科準備室は初めて、古い秘密の保管庫ではなく、新しい入口に見えた。

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